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「岐阜関ケ原古戦場記念館」。開館後、関ケ原を訪れる人数は約3倍に増えた。同館5階展望室からは関ケ原が360度眺望できる |
422年前、東軍と西軍約16万の大軍勢が天下を懸けて激突した「関ケ原の戦い」。その後、豊臣の世から徳川の世に天下が移っていく節目となった古戦場がある関ケ原町(岐阜県)と岐阜県は“世界三大古戦場”の一つとして、ワーテルロー(ナポレオン戦争)やゲティズバーグ(アメリカ南北戦争)との交流を深めている。近年「岐阜関ケ原古戦場記念館」が建設されるなど、史跡としての整備が進んでいる関ケ原を、武将たちのドラマに思いをはせながら巡った。
風と振動、光と音の演出…岐阜関ケ原古戦場記念館
JR関ケ原駅で下車して徒歩10分、古戦場のただ中に戦国時代の砦(とりで)を模して2年前に建てられたのが「岐阜関ケ原古戦場記念館」(館長:小和田哲男・静岡大学名誉教授)だ。建物内には、“天下分け目の戦い”が床面スクリーンで俯瞰(ふかん)できる「グラウンド・ビジョン」や、風と振動・光と音の演出による大迫力映像で東西両軍の激突が体感できる「シアター」、それに同館の貴重な収蔵コレクションなど見どころが“満載”。関ケ原には、同館以外に「関ケ原笹尾山交流館」や「合戦資料館『関ケ原ウォーランド』」などの施設もあるので訪ねたい。
笹尾山の「石田三成陣跡」から関ケ原古戦場を望む。同陣跡は北国街道を押さえる要衝に位置している |
「関ケ原」巡り、武将の「物語」思う
「関ケ原の戦い」が始まったのは1600(慶長5)年9月15日(現在の10月21日)午前8時ごろ。徳川家康は午前10時ごろ約3万の軍勢を率い、桃配山(ももくばりやま)の「徳川家康最初陣地」から戦いの中心地に向かって進軍。「床几場(しょうぎば)・徳川家康最後陣地」にまで軍を進めた。その家康最後陣地に立ってみると、笹尾山にある「石田三成陣跡」はわずか数百メートル先。家康が石田隊など西軍中核に圧力をかけていたさまがうかがえた。「関ケ原の戦い」は開戦からわずか6時間余りで勝敗が決した。
「関ケ原笹尾山交流館」では甲冑(かっちゅう)体験ができる。有料。要予約。 |
ところで、「関ケ原の戦い」はなぜ起こったのか。同館の小和田館長は、「(天下人の)豊臣秀吉が1598(慶長3)年に死去したとき、その子の秀頼は幼子でした。秀頼が15〜16歳だったら豊臣政権は継続できたかもしれません」と話す。
小高い山々に囲まれた地形の関ケ原。そこで戦った武将たちの物語を思いながら古戦場を巡ると、「関ケ原の戦い」がより深く体感できる。 |
「大関ケ原祭2022」
8日(土)〜10日(月・祝)、関ケ原町笹尾山グラウンド、および関ケ原古戦場(JR関ケ原駅近くからシャトルバル運行)で。
俳優・竹下景子の朗読と、オペラ詠唱で関ケ原の戦いを描いた、8日の野外朗読音楽絵巻「関ケ原 夜想語(やそうがたり)〜高台院様日記異聞」(有料・要予約)ほか盛りだくさんの内容。9日(日)、10日は時代劇俳優・松平健やタレントの山之内すずらによる「関ケ原トーク」や、「東西人間将棋」(10日)も。同事務局 Tel.0584・71・6132 |
◆ アクセス ◆
関ケ原古戦場はJR関ケ原駅から徒歩10分。車は東京IC〜東名高速道路・名神高速道路〜関ケ原ICなどを利用。
◆ 観光の問い合わせ ◆
関ケ原観光協会 Tel.0584・43・1600 |
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