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北前船の港町「三國湊」の面影訪ねて 福井県/坂井市 |
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江戸末期に建てられた旧岸名家。店の上に中2階のような小部屋を設けた三国独特のかぐら造りになっている |
福井県坂井市の三国町は九頭竜川の河口に沿って細長く広がり、江戸時代には北前船の出入りと回船問屋でにぎわった港町。かつては三國湊(みなと)と呼ばれ、今春「〜北前船寄港地・船主集落〜」として日本遺産に認定された。遺産を構成する文化財を中心に巡った。
まち歩きは上流にある三國神社から河口に向かって約1.5キロを巡る。その間に江戸時代初期から後期にかけての三國湊のたたずまいに出合う。
三國神社は1540(天文9)年に建立され、大山咋命(おおやまくいのみこと)と継体天皇を祭る。毎年5月に行われる三國祭は北陸三大祭の一つで、20万人近い人出がある。
神社から数分歩くと旧三國湊を代表する回船問屋、森田家の長い板壁が見えてくる。大阪からは砂糖、塩、布などを、北海道からは海産物を仕入れた。かつての配地図を見ると全容は奥行きがおよそ90メートルと広大だ。見学は外観のみとなる。
道は緩やかにカーブしながら延びる。「これは川の流れに合わせた自然に寄り添う道で、江戸時代初期のころの道がそのまま生かされています」と坂井市観光連盟会長の大和久米登さん(63)は言う。森田家から数分で旧森田銀行本店。森田家が明治時代に入って金融業に転じて創立した銀行である。1920(大正9)年に建てられた県内最古の鉄筋コンクリート造りの館内にはしっくいを使った白壁やシャンデリアが下がる天井など豪華なデザインが目を引く。
旧岸名家の内部。川に面した桟橋まで続く細長い通路沿いに台所など生活空間が広がる |
その先には左手に旧岸名家が立つ。江戸時代末期に建てられた材木商の店舗兼住居で、こちらは一般公開している。森田家同様、店から裏の港に向かって細長く続く。特産の笏谷石(しゃくだにいし)を敷いた通路の左側に台所、風呂、トイレが順に並び、右手に座敷など生活空間が広がる。港と店舗と住まいが直線でつながった三国の商家の暮らしが目に浮かぶよう。2階には客間と三国独特の中2階を思わせるかぐら造りと呼ばれる小部屋がある。
旧岸名家の先には三国節などを三味線とともに聞かせる「江戸小唄 竹よし」や、三国バーガーなどが食べられ三国の町紹介コーナーなどもある「三國湊座」がある。その先には、かつての花街との境に思案橋が(コンクリート製に変わったが)架かる。また、手前の細い坂道を上ると船頭たちが天候を見て出港を判断した日和山(ひよりやま)があり、坂道を下れば1907(明治40)年にこの地で生まれた作家高見順の生家が残る。
明治の料理茶屋も
思案橋に戻って直進し、2本目の路地を右折すると浜風にのれんが揺れる料理茶屋の「魚志楼」が見えてくる。明治時代に建てられ、風情ある客室と新鮮な魚介類の料理が自慢。
かつての三國湊を一望する丘には白亜5層八角形のエキゾチックな建物が立つ。1879(明治12)年に建てられた旧龍翔小学校を再現した「みくに龍翔館」だ。館内には北前船の模型や縮小した当時の町並みなどが展示され、歴史と文化を伝えている。
旧龍翔小学校を設計したのは、明治三大築港の一つで今も現役の三国港突堤を九頭竜川河口に築いたオランダ人土木技師エッセル。この巨大土木事業も小学校建設と同様に多くの費用を北前船主と回船問屋を中心とした商人たちが賄った。旧三國湊の財力と底力を今に伝えている。 |
みくに隠居処の「舟盛り料理」 |
「宿」
三国港突堤から歩いて3、4分の三国サンセットビーチを望む所に三国温泉が湧く宿「みくに隠居処」がある。かつての北前船の船乗りたちが集った「隠居処」跡に昨年オープン。源泉掛け流しの湯と舟盛り料理が人気。みくに隠居処 Tel.0776・82・8558 |
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◆ 観光の問い合わせ ◆
坂井市観光連盟 Tel.0776・43・0753 |
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