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見た目も華やかな岩国寿司。具材には特産の岩国レンコンも使われている。大抵レンコンの穴は8つだが、岩国レンコンの穴は9つ。「一つ見通しが良い」といわれる縁起物だ |
山口県東部は、瀬戸内海の多島美と冬でも温暖な気候、そして豊かな自然や食に恵まれた地域である。だが、同地の歴史は決して平たんではなく、人々は歴史の荒波にもまれながらも、決して諦めずに不屈の魂でさまざまな困難を乗り越えてきた。歴史をたどりながら同地の魅力を探ってみよう。
岩国寿司
山陰地方に14万石を領した吉川広家(1561〜1625)は関ケ原の敗戦で、現在の山口県東端で広島県に接する岩国の藩主3万石に転落。だがその変転にも負けず岩国の開発に力を注いだことで、広家は今も同地で慕われている。広家が合戦用の保存食に作らせたといわれる「岩国寿司(いわくにずし)」は、「殿様寿司」とも呼ばれ同地の冠婚葬祭に欠かせない郷土料理となっている。
岩国寿司は押しずしの一種。笹(ささ)の葉を下敷きに酢飯や具材を何層にも重ねた料理で、見た目も華やか。家庭ごと店ごとに具材や調理法は細かく異なるというが、同地の老舗旅館「半月庵」では、笹の代わりの葉物野菜、酢飯、具材、錦糸卵の4層のものを供している。女将(おかみ)の森本孝子さん(53)は、「ふたをとったときに見た目にきれいな岩国寿司を喜んでもらえるよう、ガリの置き方ひとつにもこだわっています」とほほ笑む。
昼食営業時間午前11時〜午後2時。「岩国寿司膳」1728円ほか。岩国寿司は1日数量限定のため予約がおすすめ。問い合わせは Tel.0827・41・0021
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錦帯橋は架橋された江戸時代から有名な観光スポット。「大名行列も寄り道して通ったほど」とは岩国観光ガイドボランティア協会会長の竹本邦夫さん(72) |
錦帯橋
岩国の名勝・錦帯橋は長さ約193メートル、幅約5メートルの木造5連アーチ橋。錦帯橋が架かるのは錦川。同地の藩祖・吉川広家は錦川を挟んだ両岸に城下町を整備。当初は普通の橋を架けていたのだが、錦川は昔からの暴れ川。洪水が起きると流木により橋脚が壊され橋は何度も流失。岩国藩では試行錯誤を重ね、まず橋脚を使わない単純アーチ橋を構想。だが川幅約200メートルの錦川では架橋は無理と判断。そこで頑丈な石垣の橋脚に支えられた多連アーチ橋が計画され、3代・吉川広嘉(1621〜79)の時代に完成。以来、1950(昭和25)年のキジア台風による流失まで、その威容を保ち続けた。
流失は戦時体制下で補修がおろそかになっていたことが原因といわれる。岩国市は即日政府に復旧への協力を要望。コンクリート橋への架け替えなどの意見も出たが、地元の強い要望により53年、原形を残す形で復旧。そして再建から半世紀後の2001年には「平成の架替」が行われ、完成当初のような美観を復元、訪れる人を魅了し続けている。
入橋料300円。岩国市観光振興課 Tel.0827・29・5116 |
日本ハワイ移民資料館の寄贈資料 |
日本ハワイ移民資料館
岩国市の南、瀬戸内海に浮かぶ周防大島(周防大島町)。今でこそ本土と橋でつながり便利なリゾート地となっているが、約130年前の大島は人口増大により貧困が常態化し、出稼ぎが盛んだった。そこへ持ち上がったのがハワイへの移民話。ハワイ王国(当時)と日本の合意による「官約移民」募集では、1885(明治18)年から10年間にわたって約3万人もの日本人が海を渡ったが、その1割以上は出稼ぎ慣れした大島の島民だった。
夢を抱き故郷を後にした彼らを待っていたのは、プランテーション農場での過酷な労働の日々—。だが、彼らは未知の地で一から生活を切り開き、ハワイにおける本格的な日本人社会を築き上げていった。
大島の日本ハワイ移民資料館では、寄贈資料を展示し、大島からのハワイ移民の歴史を紹介している。
入館料400円。Tel.0820・74・4082 |
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◆ 周辺観光の問い合わせ ◆
山口県観光連盟 Tel.083・924・0462 |
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