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隆盛の面影とどめる“たたら製鉄の里” 島根県/雲南市 |
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田部家の繁栄を物語るなまこ壁の土蔵群。つきあたりは田部家の邸宅 |
日本に近代製鉄技術が導入されるまで、島根県・奥出雲地方では「たたら製鉄」が盛んに営まれてきた。雲南市吉田町は、人気アニメ「もののけ姫」(宮崎駿監督)のモデルになったとされるたたら遺構や博物館を整備、1986(昭和61)年から「鉄の歴史村」をテーマに町づくりを進めている。同地方のたたらスポットを巡り、鉄づくりの原点にふれた。
川底の赤み
出雲空港から南へ30キロ余り。小高い山々の連なりと田んぼがおりなす日本昔話の世界のような情景を眺めながら、雲南市吉田町にたどり着く。
町を流れる吉田川はよく見ると川底が赤く染まっている。「酸化鉄の付着によるもので、この地域の川の特徴です。たたら製鉄の名残と思われます」と雲南市商工観光課の鶴原隆さん(41)。たたら製鉄とは、山を削って土砂を下流へ押し流す「鉄穴(かんな)流し」と呼ばれる手法で砂鉄を採取し、木炭の炎で製造する日本古来の製鉄法。炉に空気を送り込む際に使用する「ふいご」を「たたら」と呼んだためこの名が付いたという。吉田地区で本格的な操業が始まったのは鎌倉時代といわれ、江戸時代を最盛期に大正期まで続いた。
趣ある木造建ての「鉄の歴史博物館」では、たたらの歴史や技法について、資料や実際の道具の展示を通して分かりやすく解説している |
“御三家”の蔵
その頭役を担ったのが同地区を拠点にたたら経営を行った田部家だ。同家は絲原家・櫻井家とともに奥出雲の“たたら御三家”に数えられ、その繁栄を物語る田部家の土蔵群が町の中心に整然と並ぶ。この土蔵群から古い家並みが続く石畳の坂を5分ほど上ると「鉄の歴史博物館」がある。館内では資料の展示を通して、たたらとはどのようなものだったかを学べる。
特に70(昭和45)年作成のビデオは必見。たたらの現場を後世に伝えるべく引退後のたたら職人による復元操業をまとめた映像で、思わず息をのむリアル感がある。砂鉄採取のための山の切り崩しに始まり、作業場に炉を築くのに約4カ月。炉の完成後は昼夜連続で4日間(3晩)ワンセットの作業を何度も繰り返した。炎と向き合う作業のため目を患うことが多く、失明者も少なくなかったようだ。「危険も伴う重労働への報酬は主に米で支給されましたが、山内(さんない)の暮らしは楽ではなかったと聞いています」(鶴原さん)。山内とはたたら製鉄従事者の作業場と住居が一体となった集落のこと。町から車で5分上った山あいには、今も子孫が暮らす「菅谷(すがや)たたら山内」がある。渓流が美しい谷あいに細長く連なる家並みの様子は隠れ里の趣。集落内にはこけらぶきの菅谷高殿(製鉄所跡)が建ち、その高殿を見守るようにご神木のカツラが枝葉を広げている。
隠れ里のような趣で、今もほぼ 昔のままの形を残す菅谷たたら山内 |
世襲の秘伝
「原料の砂鉄や木炭が豊富で、炉に(燃焼温度を上げるための)風をとりこみやすい地形に恵まれたことが、大正10年まで百年以上にわたり操業を続けられた理由です」と施設長の朝日光男さん(70)。高殿内は薄暗く、大きな炉が製鉄に励んだ人々の姿を彷彿(ほうふつ)とさせる。製鉄技術は村下(むらげ=技師長)によって受け継がれ「世襲制のため他人に秘伝を漏らすことは許されなかった」と朝日さんは話す。
この高殿は現存する唯一のたたら遺構として国の重要有形民俗文化財に指定。映画「もののけ姫」の“たたら場”のモデルになったといわれる。16(平成28)年には県内の安来市・奥出雲町・雲南市に息づくたたら製鉄とその風土についての地域ストーリーが日本遺産に認定された。「認定理由は、たたらの技術だけではありません。砂鉄採取の跡地を棚田にして全国的に名高い仁多米を育むなど、たたら産業が今の地域の暮らしを支える基礎になっていることが根拠」と鶴原さんは強調する。
菅谷高殿内部。操業がなかった時期をはさみ1751年から1921年まで炉で炎が燃えさかった |
「神話の舞台」
雲南市には古事記で有名な八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝承地が数多く点在する。これらはたたらと無関係でなく、大蛇は砂鉄採取の影響で氾濫する川になぞらえ、退治した大蛇から取り出した剣は製鉄の象徴という説がある。神話や景観など、たたらの歴史が今に息づく奥出雲。ぜひ同地の魅力を体感してほしい。
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【観光などの問い合わせ】
雲南市商工観光課 Tel.0854・40・1054 |
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