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山の文化と歴史…木曽路を歩く 長野県/南木曽町ほか |
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妻籠宿の中でも最初に保全対象となった寺下地区の町並み。人が住み、生活しながら継続してきた保全運動。江戸時代からの建物は今も喫茶店や土産物店、そして住居として現役で使用されている |
「木曽路はすべて山の中である。…一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた」と島崎藤村がつづった木曽地域。主に長野県南西部、塩尻市から木曽郡の約1800平方キロと広大な地域で構成。現在主要交通幹線が通っている木曽路(旧中山道)を包む木曽谷の9割は今も森林地帯だ。同地域ではその森林資源とともに、山の恵みに寄り添った文化や食、そして木曽路の町並みを守り続けている。2016年4月にはその価値が認められ、同地域が文化庁より日本遺産に認定された。案内人たちに導かれ木曽路を歩き、歴史と独特の風土を体感した。
妻籠宿
木曽路は贄川宿(塩尻市)から馬籠宿(岐阜県中津川市)までの11宿で構成。妻籠宿(南木曽町)は長野県側最南端の宿場跡。江戸時代から現在まで火事が少なかったことに加え、地域挙げての景観保全の取り組みが活発なことから、当時の宿場町の面影を色濃く残す。1976(昭和51)年には重要伝統的建造物群保存地区の第1号に指定されている。日本人はもとより外国からも多くの人が訪れ、江戸時代にタイムスリップしたかのような景観を楽しんでいる。
妻籠宿案内人の松瀬康子さん(62)は、「町並み保存の機運が盛り上がったのは今から約50年前。町が小さかったこともあり、住民全員の足並みがそろったのが大きかったですね」と、半世紀にわたる景観保全の取り組みを交えながら、妻籠宿の歴史を紹介してくれた。
妻籠宿は中山道と伊那街道の結節地であり交通の要衝として栄えた。隣の馬籠宿出身の島崎藤村ともゆかりが深く、次兄が本陣当主(庄屋)の養子となり幕末明治期の激動の時代、木曽の住民の生活を守るため奔走。そのさまは、木曽路を舞台とした藤村の大著「夜明け前」でも触れられている。現在の本陣跡は復元だが、当時の雰囲気をよく再現している。
「景観保護が徹底され、電柱のない町並みになっているため、『ここには江戸時代の空がある』と言ってくれた人もいます。歴史の雰囲気を感じ、楽しんでほしいですね」と松瀬さん。 |
福島関所資料館外観。内部も忠実に再現されているほか、関所通行に関する資料や、当時の関所で使用された武具などが展示されている。入館料大人300円。火曜休館。 |
福島宿
福島宿(木曽町)は戦国時代、領主木曽氏の城下町として発展。江戸時代、木曽路一帯が幕府直轄地となり、後に尾張藩に編入されるが、一貫して木曽代官の山村氏が福島宿に居館と関所を構え木曽の地と木曽の材木資源を守った。
現在、同地には山村家の文化資料や調度品を展示した山村代官屋敷と福島関所資料館が整備・復元されている。同関所は箱根などと並び称された日本四大関所の一つ。「さらに福島関所では木曽五木(ヒノキ、ヒバ、サワラ、コウヤマキ、ネズコ)の流出を防いでいました。『木一本、首一つ』ともいわれる厳しい取り締まりで木曽の山を守りました」とは福島宿案内人の木村美津江さん(60)。「幕末、京都から江戸に降嫁した皇女和宮一行もここを通りました。当時のにぎわいを想像し、歴史ロマンを感じてほしいです」
アクセス
▽妻籠宿:JR南木曽駅からバスで10
▽福島宿:JR木曽福島駅徒歩10分 |
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山菜やキノコの代わりに、「すんき」を入れた「とうじそば」 |
「すんき」と「とうじそば」の滋味
「すんき」とは木曽地域に古くから伝わる保存食の一つ。同地は海から遠いため塩の調達が難しく、赤カブの葉を漬けて発酵させ、塩を使わず酸味をうま味として食べる。
「とうじそば」も同地に伝わる食文化。「投じ籠」に小盛りに入れたそばを、季節の野菜やキノコたっぷりのつゆに満たされた鍋に浸し、さっと湯がいていただく。
「すんき」とそばを合わせて食べる「すんきそば」や「とうじそば」は木曽谷の冬の風物詩となっている。価格はともに1人前1000円程度。 |
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木曽路観光の問い合わせ
「すんきそば」「とうじそば」を食べられる店舗や、周辺の観光情報については木曽観光連盟 Tel.0264・23・1122 |
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