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随筆家・白洲正子が愛した社寺を訪ねる 滋賀県/甲賀市ほか |
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近くの建造物の多くが戦国の兵火で消失している中、室町末期に建てられた本殿や楼門、東西回廊が今も残る油日神社 |
近江(滋賀県)には寺社や仏像など信仰に関わる宝物が数多く存在している。その数は、国宝を含む重要文化財の指定件数で全国4位(818件、2015年11月現在)を誇る。特に仏像の中でも「観世音菩薩像」「阿弥陀如来像」「薬師如来像」の国指定文化財の指定件数は全国一多い。随筆家の白洲正子はそんな滋賀の古い社寺を愛し、しばしば訪れている。その足跡をたどりながら、滋賀・近江路の社寺や仏像などを見てきた。
油日神社
福太夫神面は江戸末期まで種まき神事に用いられた祭具 |
白洲正子の名著「かくれ里」。その冒頭に登場するのが油日(あぶらひ)神社(甲賀市)だ。国指定重要文化財の楼門や本殿は室町時代に建てられたもので、やや色あせてはいるが優れた彫刻が施された堂々たる建築物。宮司の瀬古吉孝さん(69)は「近江の名工、甲良(こうら)大工が造ったといわれています」と話す。周辺には、当時にタイムスリップしたかのような雰囲気が漂う。
白洲が先の著書で「近くで見るとひとしお美しい」と絶賛しているのが、同神社に保存されている「福太夫神面」(県指定有形文化財)。豊作祈願に使用された人形の「ずずい子」とともに、最高の技術を持った名工の作と見ている。「白洲さんは昭和40年代前半によくお見えになられたようです。私はまだ、大学生か卒業したころで先代の宮司がお相手していました」と瀬古さんは話している。 |
「今にも動き出しそうだ」と白洲正子が称賛した石馬寺の大威徳明王牛上像は平安時代の作。国指定重要文化財 |
石馬寺
戦後、日本の文化や美術に関する文章を数多く執筆した白洲が先の随筆の中で「石の寺」として紹介しているのが石馬寺(いしばじ、東近江市)だ。その昔、聖徳太子が松の木につないだ馬が石と化したという伝説に彩られる同寺。僧や行者など多くの人々が歩いた古道、かんのん坂の乱れ石積みの階段を、息を切らしながら上りつめると、人里離れた古寺が現れる。
白洲正子は石馬寺の石庭奥にある断崖を「さながら井戸(茶わん)の名品でも見るよう」と表現している |
同寺の中で白洲が気に入っていたのが庫裡(くり)と宝物殿の間にある石馬の石庭だ。寺庭(じてい=住職夫人)の西有希子さん(39)は、「白洲さんは石庭奥の断崖(だんがい)に日が当たって色合いが変わるのが印象深いと思われていたようです」。
向源寺
1570(元亀元)年、湖北の地で織田信長と浅井・朝倉連合軍の合戦が行われ寺が焼失した際、村人が土の中に埋めて守ったという伝説が残るのが向源寺(こうげんじ、長浜市)の十一面観音立像(国宝)だ。あつい信仰のもと地域ぐるみで守られてきたその像について白洲は「近江山河抄」の中で、「貞観時代のひときわ優れた檀像(だんぞう)」と書いている。 |
金剛輪寺の本堂 |
西明寺・金剛輪寺
同じく同書に登場するのが、湖東三山に数えられる西明寺(甲良町)と金剛輪寺(愛荘町)だ。ともに鎌倉時代に建てられた代表的な和風建築物は国宝に指定されている。中でも西明寺の本堂は鎌倉時代の代表的な建造物として知られ、「日本の100の古寺」にも選ばれている。西明寺境内に建つ三重塔(国宝)内部の壁画は鎌倉時代の作。白洲は、「天井から柱の隅々まで、極彩色の菩薩像で埋まっている」とその美しさを特筆している。一方、「紅葉の頃は特に美しい」と同書の中で触れているのは、金剛輪寺の名勝庭園。桃山から江戸期の作庭で、浄土の世界へと導くかのような秋の「血染めのもみじ」の時季には多くの人が訪れる。 |
【滋賀観光の問い合わせ】
びわこビジターズビューロー Tel.077・511・1530 |
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