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城内には多くの文化財などの見どころがあり、じっくり時間をかけて見学したい |
来年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公、黒田官兵衛(如水)。豊臣秀吉から最も警戒された武将といわれる。軍師として秀吉に天下を取らせるために数々の戦功をたててきた官兵衛。そのゆかりの地・姫路城(兵庫県姫路市)は日本の城郭建築技術の粋を集めて築城された城であり、日本で最初に世界遺産として登録された。現在、50年ぶりの大修理が行われているが、その中を歩いてみると、官兵衛が生きた時代の史跡を見ることができた。
来年の大河ドラマに登場
官兵衛が姫路城内で生まれたのは1546(天文15)年11月29日と伝えられる。官兵衛の父は御着(ごちゃく)城主・小寺氏の重臣。
ただ、官兵衛が生まれた当時の姫路城は今に残る、五重屋根・五層壁の大天守を誇る姫路城ではない。それ以前、官兵衛が生まれたころはその土地の要衝としてとりでや城が築かれていた。その後、軍師となっていた官兵衛の進言によって、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が中国の毛利氏を攻める拠点として三層の天守を築く。「その時の普請奉行を務めたのが官兵衛でした」と姫路城シルバー観光ガイドの萩原たか子さん(70)。
今は、普請というと一般的に家を建てたりすることの意味で使われるが当時、普請というのは土木工事のこと。築城の際に堀を造ったり、石垣を築いたりすることを官兵衛が担当したという。
その痕跡が「野面(のづら)積み」という石垣に残っている。野面積みとは、自然の石をそのまま積み上げた方法で、戦国時代に本格的に用いられたといわれる。野面積みの石垣には、すき間や出っ張りができて敵に登られやすいという欠点があったが、排水性に優れ頑丈なところが長所という。
「姫路城の野面積みは“官兵衛石垣”と言っていいと思います」と萩原さん。姫路城には、官兵衛と後の池田輝政時代の石積み法が混在。石垣を見ると時代の違いが分かる。
また、「に」の門櫓西面にキリスト教に入信した官兵衛のものと伝わる十字紋の鬼瓦を見ることができる。
野面積みや十字紋の鬼瓦を見ることで、官兵衛が活躍した時代をしのび、歴史ロマンを感じることができる。
姫路城シルバー観光ガイドの予約、問い合わせは Tel.079・288・4813 |
「平成の大修理」で外部を覆われた姫路城の大天守 |
平成の大修理限定公開
現在、姫路城は約50年ぶりとなる「平成の大修理」中。大天守は地上約50メートル。の大きな素屋根で覆われ、その中で改修工事が進められている。素屋根内部には修理見学施設「天空の白鷺」が設けられ、通常では決して見ることができない修理の様子が公開されている。
見学は1月15日(水)まで。問い合わせは Tel.s079・287・2013
「活水軒 官兵衛御膳」
官兵衛がかぶったかぶとの形に似せたおわんのふたや名物の穴子を使った「活水軒 官兵衛御膳」 |
姫路城西御屋敷跡庭園「好古園(こうこえん)」内レストラン「活水軒」では大河ドラマ放映を記念して、「活水軒 官兵衛御膳」(2500円)を提供している。1日限定10食。3日前までに要予約。内容は、穴子の天ぷらをはじめ、穴子が乗ったご飯、地元名産の夢そばを使ったそば、茶わん蒸し、お汁、刺し身、甘味おまんじゅうなど盛りだくさんだ。 Tel.079・289・4131 |
その他ゆかりの地
【御着城跡】
西播磨最大の領主だった小寺政職に才能を認められた官兵衛が、家督を継ぐまで政職の近習として仕えた御着城。現在は、城跡一帯が御着城跡公園として整備され、城を模した姫路市役所御着支所のほか、官兵衛の顕彰碑が建立されている。
【国府山城跡】
姫路城を秀吉に明け渡した官兵衛が父とともに移り住んだ居城・国府山(こうやま)城跡。山麓には妻鹿城址(国府山城址)の碑がある。
【播州黒田武士の館】
私財を投じて10年前に神澤輝和さん(72)が建設した。館内には神澤さんが40年かけて集めた官兵衛に関する品々が所狭しと陳列してある。
官兵衛ゆかりの地についての問い合わせは黒田武士顕彰会事務局・神澤 Tel.079・245・4685 |
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