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富田都市農業交流センター周辺のコスモス畑は“花の都・ちば”を代表する景観の一つ=2011年秋撮影 |
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旧神谷伝兵衛稲毛別荘を案内する「ちばシティガイド」の川出優さん。ユーモアを交えながら、千葉市の歴史や文化をよどみなく説明する |
シニアの観光ガイド活躍
気軽に行ける千葉の旅へ—。都心部から30〜40キロ東に位置する千葉市は、政令指定都市として発展する半面、郊外に農地や森林が広がる“花の都”だ。シニア主体のボランティアが「まち歩き観光」のガイド役として活躍。「日本のワイン王」といわれた神谷伝兵衛の旧別荘など、歴史の見どころを中心に無料で案内している。
東京駅から千葉駅まで40分足らず(JR総武線快速)。東京への通勤圏でもある千葉市には「(身近過ぎて)観光のイメージがあまり湧かない」という声も耳にする。そんな人へのおすすめが「まち歩き観光ガイドツアー」。市観光協会が史跡や文化財、美しい景観、風情ある町並みを織り交ぜた13コースを設定している。案内は市民の観光ボランティア「ちばシティガイド」。61人のガイドのほとんどは50代以上のシニア層だ。今回は大正・昭和初期の建築が残る「稲毛エリア」を川出優(かわいで・まさる)さん(59)の説明を聞きながら歩いた。
愛新覚羅溥傑と浩夫妻が新婚時代を過ごした家屋と庭園。2人に関する資料も展示されている |
現役の高校社会科教諭でもある川出さんは「ガイドを通して、私も郷土史をあらためて勉強できている」と笑顔を見せる。まず訪ねたのが「ラストエンペラー」として有名な愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)の実弟・溥傑(ふけつ)の旧住居。1937(昭和12)年、溥傑と嵯峨侯爵家の浩(ひろ)は結婚し、ここで半年間、新婚生活を過ごしている。埋め立てが進んだ現在と違い、当時は稲毛海岸を眼前に望んだ平屋の日本家屋。今も庭園には四季折々の花が咲き、仲むつまじかった2人の暮らしぶりをしのばせる。
次に大正時代を代表する洋館として国登録有形文化財に指定されている「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」へ。神谷は日本のワイン産業振興に尽くした明治・大正の実業家だが、その名を知らなくても「デンキブラン」の神谷バー創始者と聞けば、喉をごくりと鳴らす“左党”も多いのでは…。洋館は1918(大正7)年の建築で、5年後の関東大震災の揺れにも耐え抜いた。部屋全体をブドウ棚に見立てた2階和室は、ブドウの古木の床柱やブドウの透かし彫りなど、意匠を凝らした造りが随所に見られる。
稲毛海岸は明治中期から避暑地や海水浴場としてにぎわい、島崎藤村や徳田秋声、森鴎外らが滞在した。「根上がりの松」は砂丘の砂の減少のため、根の部分が砂上に浮き出た独特の形状で有名だ。川出さんは「千葉には興味深い穴場が多い。ぜひ東京から足を運んで」と話している。 |
農業体験も好評
豊かな自然が残る“花の都・ちば”。桜やバラ、コスモスなど、「花の名所」は数多い。
このうち市東部の富田都市農業交流センター(TEL.043・226・0022)周辺は、春の芝桜と秋のコスモスの名所。コスモスは例年9月下旬〜10月中旬、約2ヘクタールの畑をピンクや赤、白に染める。センターの農園ではジャガイモや落花生、枝豆などの栽培、収穫を体験できる。地元の農家が栽培管理を行う「農作物の収穫オーナー制」も好評だ。
一方、東京湾に近い「三陽メディアフラワーミュージアム」(旧称・花の美術館 TEL.043・277・8776、入館料大人300円)には約1600種・4万8000株もの植物が館内と敷地に植栽されている。 |
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【問い合わせ】
千葉市観光協会 TEL.043・222・0300
「まち歩き観光ガイドツアー」は、同協会「ちばシティガイド」係に2人以上で申し込めば日時調整の上で実施。無料。
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