|
震災による無残な傷跡が残る白河小峰城の石垣 |
東北新幹線で都心から1時間強の白河(福島県)。古くから陸奥(みちのく)の玄関口として関が築かれた要衝の地であり、戦乱ともなれば幾千幾万の武者が行き交ったが、平時には人や物の流通経路として、また「枕詞(まくらことば)の地」(和歌の名所)としてあまたの文人墨客の旅愁を誘った。歴史の町・白河を歩こう。
白河小峰城
白河のシンボル・白河小峰城は南北朝時代に築城。現在みるような白亜の城郭として生まれ変わったのは江戸時代初期に入封した丹羽氏の手によるもの。同氏の二本松移封後は、有力外様大名のひしめく「奥州のおさえ」として親藩譜代大名が封じられてきた。
明治以後、城跡は石垣を残すだけだったが、昭和期に敷地内を公園として整備、1991(平成3)年の大改修では本丸跡へ三重やぐらを木造で復元、往時の面影を再現した。
だが東日本大震災により石垣が諸所で崩落、三重やぐらの入り口も土砂でふさがり現在入城は見合わされている。ボランティアでガイドを務めるツーリズムガイド白河の渡部武会長(75)は、「改修時、現代の工法で造った石垣が真っ先に崩れた。昔ながらの方法で修復することになるだろうが、5〜10年かかるかも」と表情を曇らせる。城を管理する市では震災復興のシンボルとして徐々に復活する姿を多くの人に見てもらいたいとしており、公園からも修復作業の様子を見ることができる。
公園の見学は自由(入城は禁止)。代々の城主の遺物を展示する併設施設「白河集古苑」も見学可能だ(見学時間は午前9時〜午後4時。入館料310円、月曜定休)。 |
所在地を巡り論争が続いていた白河関跡 |
白河関跡
百人一首に名を連ねる能員法師や西行、平兼盛が歌に盛り込み、松尾芭蕉も訪れた白河関は知名度抜群。
しかしその遺構は長く失われ、所在地を巡り江戸の昔から論争が続いてきた。候補に挙がっていたのは奥州街道沿い、福島、栃木県境にある「境の明神」と、栃木県追分の県境から北に数キロの「白河神社」であったが、戦後の発掘で白河神社周辺から空堀・土塁などの遺構や、おびただしい遺物が見つかったことから、長い論争に終止符が打たれた。
発掘調査では律令時代に蝦夷と対峙(たいじ)した要塞(ようさい)だったことが明らかになったが、現在は古木の生い茂るなだらかな丘であり、往時の緊張感はもはやない。ただ風流人の聖地として数々の歌碑と句碑が静かに立ち並ぶ。
見学は自由。隣接する白河関の森公園には白河の歴史を紹介した「ビジュアルハウス」などの施設も。 |
四季折々の花と緑、水流の競演を楽しめる南湖公園 |
南湖公園
南湖公園は江戸幕府の老中として寛政の改革を行い、茶人、作庭家としても知られた白河藩主・松平定信が新田開発とかんがい用水を目的に築造した人造湖“南湖”一帯を庭園としたもの。“士民共楽”の理念に基づき庶民に開放、湖を取り囲む地点に設けた景勝地「南湖十七景」を身分の別なくともに楽しんだ。
南湖は松、桜、カエデのほか四季折々の花と緑、そして満々とたたえられた湖水が典雅な風景を演出、訪れた多くの人々を魅了している。また湖畔に並ぶ茶店では名物の南湖だんごが販売されている。基本はあんことみたらしだが、各店ともオリジナルの味付けや材料にこだわりそれぞれに味を競う。公園の花々を眺めながら各店の団子を食べ比べてみるのも楽しいのでは。
公園の見学は自由。 |
|
【震災の影響】
震災により多くの史跡が被害を受け、なかでも石碑など石造物の倒壊が目立つ。1年近く過ぎた現在も石工職人の不足から大半が修復できていない状況だ。
ただ放射能に関しては一般生活を送るには支障ないレベルであり、代表的な史跡は既に除染措置済みだ。南湖公園の一角、南湖神社の宮司・中目公英さん(50)は「憩いの場として来ていただきたい。それが復興につながる」と話す。 |
【問い合わせ】
白河観光物産協会 TEL.0248・22・1147 |
|