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さまざまな陣形で一斉射撃。炎と煙、そして耳をつんざくごう音…。「五葉山火縄銃鉄砲隊」の迫力の演武 |
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東日本大震災…復興へ「一歩一歩」
日本史上未曽有の災害となった東日本大震災は、岩手県の三陸地方でも沿岸地区はおろか内陸地区にも多大な被害をもたらした。しかし歴史上、三陸の山に生きる人々はその厳しい自然環境の中、山の恵みを生かしたくましく生き、日本の歴史に強烈なインパクトを刻んできた。復興が進む同地を訪れ、災禍(さいか)に負けなかった先人のわだちをたどってみよう。
鉄砲隊「再び前へ」
五匁(もんめ)筒、十匁筒を手に、よろいかぶとを身にまとった侍たちが指揮官の号令の下、一斉射撃。戦国にこだました火縄銃のごう音がよみがえる—。
戦国の雄・伊達政宗を祖とする仙台藩領は現在の宮城県から岩手県側に大きく突き出し、三陸側は五葉山(住田町)を北の境としていた。この五葉山は産出する良質なヒノキの皮を原料とした火縄銃の「火縄」の産地として伊達家に重要視され、藩境防衛のため住民に自衛の鉄砲隊を組織させていたという。
その歴史的背景から現在の世に「五葉山火縄銃鉄砲隊」が“復活”。麓の滝観洞(住田町)に構える羅象館(らしょうかん)を拠点に各地のイベントで古式砲術にのっとった演武を披露、伊達鉄砲隊の威風を今に伝えている。
隊員約50人は全員地元出身の有志だが、伊達家18代当主・伊達泰宗氏より平成の家臣になる命を受けた本物の“正規軍”。毎年5月に行われる仙台青葉まつりでは泰宗氏直属の部下として出陣し大人気を博す。
残念ながら今年の青葉まつりは震災のため中止となってしまったが、夏から秋のお祭りシーズンには、周辺の自治体から震災復興の目玉として出演依頼が多数来ているという。
鉄砲隊創設にも関わり、大目付を拝命している千田“右衛門”明雄さん(66)は「真剣に遊べば町おこしになると隊を結成。ここは山間地で生活は苦しいが、先祖を忘れず誇り高い侍として生きようと有志が集まった。今回の震災で隊員にも死者が出たが、われわれの演武で亡くなった方々への鎮魂とともに、被災した皆さんを元気づけるよう頑張っていきたい」と話す。
鉄砲隊は町の祭りやイベント以外でも、羅象館で演武を見学することも可能。ただし20人以上の団体が対象で1カ月以上前に予約が必要。迫力の演武を間近で体感できるほか、地元の婦人団体「母ちゃん工房」手作りのおやつによるおもてなしもある。日時は柔軟に対応するが、現在は試験興行中で見学料は応相談(1人当たりおやつ付き1000円を予定)。
五葉山火縄銃鉄砲隊事務局(住田町役場内)TEL.0192・46・2111
市街から離れた、静かな山の緑に融け込むように3つの小さな石組みがたたずむ橋野高炉跡 |
“鉄のまち”釜石の歴史伝える高炉跡
日本を支えた“鉄のまち”釜石。この地で日本初の洋式高炉での鉄鉱石精錬に成功したのは約150年前。橋野高炉跡(釜石市)は、その歴史を今に伝える産業遺跡だ。
盛岡藩士で「近代製鉄の父」と呼ばれた大島高任。大島は良質の鉄鉱石を大量に埋蔵し燃料の木炭を供給できる森林や、動力としての水に恵まれている釜石西方の山々に目を付けた。1858(安政5)年、同市橋野町に洋式高炉(仮高炉)を築造。橋野高炉は1894(明治27)年まで稼働し、富国強兵に大きく貢献した。遺跡は現在、1〜3番高炉の土台の石組みなどが確認できる。
高炉跡は震災でも被害を受けず見学は可能(入場無料)。ただし、市街地のある沿岸地区は復興の途次で、受け入れ態勢の構築には今少し時間がかかりそうだ。しかし同高炉は、北九州の八幡製鉄所などとともに近代化産業遺産群として世界遺産登録を目指す重要史跡。早期の復興が望まれる。
釜石市橋野高炉跡世界遺産登録推進室 TEL.0193・22・2111
鍾乳洞内は安全、安心に見学できるよう整備されている(見学所要時間30分) |
龍泉洞は再公開
日本三大鍾乳洞に数えられる龍泉洞(岩泉町)は中生代ジュラ紀(1億数千年前)の石灰岩層からなり、全長は5000メートル以上とも推定される。洞窟を進むと、多くの美しい鍾乳石、そしてエメラルドグリーンの3つの地底湖が待ち受ける。
洞窟内は空間が広く、安全、安心に見学できるよう手が入れられている。鍾乳石や地底湖を照らす照明も配置され、幻想的な情景をつくり出す。さらに照明設備を改良し今年3月半ばにリニューアルオープンを予定していたが、そこに震災が直撃。施設に被害はなく洞窟自体も無事は確認できたが、地震で湖底が撹拌(かくはん)され、驚異的な透明度を誇った地底湖にかすかな濁りが生じてしまった。元に戻るまで開館を見合わせる選択肢もあったが、復興へ向け地域の活力になりたいという関係者の尽力で4月末にオープンし、通年営業している。
入場料1000円。龍泉洞事務所 TEL.0194・22・2566
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