|
|
浅井三姉妹…“姫たちの面影”訪ねて 滋賀/湖北地方 |
|
|
|
大広間の奥には天守(櫓)が建っていたという小谷城本丸跡 |
今年の大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」(NHK)の舞台の一つとなっているのが滋賀県。昔「近江」と呼ばれた同地には、江や茶々、初の浅井三姉妹にゆかりのある史跡が数多く残されている。これらの足跡を訪ねてみると、大河ドラマの世界をより身近に感じることもできる。そこで、江ら三姉妹が幼少期を過ごした地である小谷城跡(国指定史跡)を中心に湖北を旅してみた。
山全体が戦国の城「小谷城」
琵琶湖の北東部、北近江の要衝にあった小谷城は浅井三姉妹の父・浅井長政の居城。「戦国5大山城の一つに数えられています」と話すのは、ガイドをしてくれた香水敏夫さん(76)。ちなみに、「浅井はあざい」、「小谷はおだに」と濁って読む。「この辺は昔から濁ります。浅井方の武将、脇坂安治もわきざかと読みます」と香水さん。1573(天正元)年、織田信長の攻撃により小谷城は落城。長政最期の地となった。なお、小谷城は現在、ハイキングコースになっており、春には桜の花見客でにぎわうという。
その小谷城に登ってみた。城のある小谷山は標高500メートル弱の山だが、実際に登ってみると坂道が急でかなり険しい。途中、何度も息が切れそうになった。
小谷城には自然の地形を利用して、東西の尾根づたいに配置された各くるわ(とりで)がある。縦一列に配置される形となっているのが特徴で、連郭式(れんがくしき)の縄張りと呼ばれる。面白いのは、付けられた名前と実際の役割が違っていること。これも、敵を惑わすためだったのだろうか。
戦国時代に幾度も戦乱の舞台となった琵琶湖周辺。賤ケ岳中腹からの眺めは静かだ |
例えば、番所跡を過ぎて最初のくるわ、御茶屋は、その名前とは裏腹に軍事施設があったという。御馬屋、馬洗池、武将の首をさらしたという首据石を過ぎると、石段と左右に大きな石垣が残る黒金(くろがね)御門跡。本丸や大広間(御殿)の入り口である同御門跡の前は桜馬場で、ここからの眺望は「絵はがきを見ているよう」と表現されるほど美しい。
御門跡を通ると面積約3000平方メートルjの大広間跡。桜馬場と共に桜の名所としても知られる。ここの地面には今も、建物の柱を立てた柱石が所々に点在している。この広場から一段低くなったところが赤尾屋敷跡で、長政が自害した場所として伝えられる。
くるわをたどり歩いてあらためて感じるのは、山全体を巧みに生かして戦闘能力の高い“城”にしていること。戦国時代の“食うか食われるか”という必死さが伝わってくる。
この小谷城を攻略した信長が陣を敷いたのが、小谷城から南に位置する標高229メートルの虎御前(とらごぜん)山。小谷城から見下ろすと、木々の間から山道や人の動きもはっきり見て取れる距離にあり、「信長や豊臣秀吉がこの山に陣取って、小谷城攻略の戦略を練っていたのか」と思うと感慨深いものがある。 |
「鯖(さば)そうめん」 |
鯖そうめん
長浜の伝統的な家庭料理の一つが「鯖(さば)そうめん」。焼きサバとそうめんを甘辛く煮込んだもので、祝い事や行事で出されてきた。北国街道沿いの長浜市には、昔から若狭湾で捕れたサバが運ばれてきたようだ。JR長浜駅からすぐの黒壁スクエアには多くの飲食店やみやげ物店があるが、そのうちの1店、「翼果楼」は「鯖そうめん」の専門店。焼きサバがやわらかく、甘辛い味がなぜかそうめんと合う。
|
黒壁スクエアでは「江・浅井三姉妹博覧会」の一つ、「長浜黒壁・歴史ドラマ50作館」が開催中(写真は大手門通り) |
江・浅井三姉妹博覧会
浅井三姉妹ゆかりの地に立つ3つのパビリオンで「江・浅井三姉妹博覧会」(事務局 TEL.0749・63・5341)が開催中だ。
その一つ「浅井・江のドラマ館」では大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」を映像や、姫ならではの豪華衣装、写真、パネルなどの展示を通し、三姉妹の波乱と苦難の人生を江の視点からドラマチックに紹介している。
また、「小谷・江のふるさと館」では、城跡が残る小谷山の麓を会場に、戦国大名浅井氏の歴史と浅井三姉妹の生涯、三姉妹の悲劇の舞台となった小谷城攻防戦や三姉妹が暮らした小谷城を映像や展示で紹介。
さらに、小谷城落城後、秀吉が作った城下町・長浜市街地では、「長浜黒壁・歴史ドラマ50作館」を開催。幕末の大老・井伊直弼の生涯を描いた第1作「花の生涯」から第50作「江〜姫たちの戦国〜」に至る大河ドラマ50作を紹介している。
一方、同博覧会との連携会場、長浜城歴史博物館(TEL.0749・63・4611)では「特別企画・浅井三代と三姉妹」を開催中だ。
これらの催しは12月4日(日)まで。 |
|
| |
|