|
大火砕流に伴う熱風に襲われた旧大野木場小被災校舎。後方は1991年5月から約5年間続いた溶岩の噴出で形成された平成新山 |
日本初の世界ジオパーク
長崎県の南東部、四方を海に囲まれた島原半島。国内有数の活火山・雲仙岳は、この地に“恵みと脅威”をもたらしてきた。特徴の異なる3つの温泉、噴火の悲劇を伝える被災地の跡…。半島全域は「地形の世界遺産」ともいわれる「世界ジオパーク」に日本で初めて認定されている。独特の風土が育んだ食文化、キリシタン受難を物語る史跡と共に、半島の魅力を“丸ごと”味わいたい。
“新しい山”
「ジオパーク」。一般にはなじみが薄い言葉だが、貴重な地形や地層を学べる“大地のテーマパーク”を指す用語だ。人々の暮らしや歴史もジオパークの要素。ユネスコが支援する世界ジオパークネットワークは2009年、島原半島を洞爺湖有珠山(北海道)、糸魚川(新潟)と共に、「日本第1号」の世界ジオパークに認定している。世界でも珍しい「人と火山が共生するジオパーク」。とはいえ91年6月、雲仙・普賢岳の大火砕流が43人の命をのみ込むなど、火山は時として大きな災害ももたらしてきた。
長谷川重雄さん |
同年9月の大火砕流で全焼した当時の小学校校舎は、窓枠が“ぐにゃり”と変形したまま保存・公開されている。普賢岳から約7キロ東の平野部には、土石流に埋もれた家屋11棟も。被災の「語り部」をボランティアで務めるジオパークガイド、長谷川重雄さん(61)は、4年3カ月間の避難生活を送っている。記者の島原半島取材後に起きた「東日本大震災」には、電話で「全く人ごととは思えない」。救援物資や義援金を受け、復興に努めた経験を持つだけに、「今度は島原挙げて(復興の)応援をしなければ」と話す。
かつての“溶岩ドーム”は噴火活動停止後の96年、「平成新山」と名付けられた。標高1483メートルは複数の峰から成る雲仙岳の最高峰。「雲仙ロープウェイ」に乗ると、眼下の緑や花を眺めながら“日本一新しい山”を間近に望むことができる。
雲仙地獄には30余りの地熱地帯がある |
「湯せんべい」を金型で1枚ずつ焼く加藤一隆さん |
地熱を“見る”
島原半島の“火山の恵み”として、第一に挙げられるのは温泉だ。濁り湯で疲労回復の効果が高い雲仙温泉、保温効果に優れた高温・塩湯の小浜温泉、中性で肌に優しい島原温泉の「三大温泉」に漬かることができる。
雲仙温泉では、活発な地熱活動のため、強い硫黄臭の漂う中、高温の温泉水と噴気が激しく噴出する「雲仙地獄」が有名だ。江戸時代、煮えたぎった湯にキリシタンを入れ、棄教を迫った歴史を物語るかのように、十字架がひっそりと立っていた。
雲仙温泉では温泉水を使った「湯せんべい」が名物の一つ。遠江屋本舗(TEL.0957・73・2155)では、店主の加藤一隆さん(58)が1枚ずつ手焼きする仕事ぶりを見ながら、独特の甘い香りを放つ焼き立てを味わえる。 |
武家屋敷の街路中央に延びる水路。島原は豊富な湧き水に恵まれた“水の都” |
キリシタンの悲劇をしのぶ
江戸時代初期、キリシタンの農民が中心になって起こした島原の乱。一揆軍に攻められた島原城の天守閣内部には天草四郎の肖像画など、キリシタン関係の史料が数多く展示されている。
島原城に程近い武家屋敷の家並みは407メートルに及び、江戸時代の面影を色濃く残す。街路中央には湧き水の流れる水路。豊富な湧き水は今も生活用水として活用される。団子を湧き水で冷やし、蜜をかけた「寒ざらし」は、これからの季節におすすめのデザートだ。 |
|
【問い合わせ先】
(社)島原半島観光連盟 TEL.0957・62・0656
島原半島ジオパーク事務局 TEL.0957・65・5540 |
|
| |
|