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見沼通船堀の閘門(関) |
中米にパナマ運河ができる180年以上も前に、それと同じ構造の閘門(こうもん)式運河が日本にもあった。そのうちの1つがさいたま市に今も残る「見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)」である。今回は、この国指定史跡を中心に、秋の景色が広がる「見沼たんぼ」を散策してみよう。
江戸期の水運「見沼通船堀」など現存
JR東浦和駅から徒歩3分ほどで見沼代用水西縁(にしべり)に。そのまま竹の林が茂る見沼通船堀公園の木道を通り抜けると、芝川との間をつなぐ見沼通船堀がある。土手に続く桜並木の木々からはカワセミなどの鳴き声が聞こえ、堀ではコサギが餌をついばんでいた。
3メートルの水位差克服
閘門式運河というのは、関(閘門)を使って船を通す形態の運河のこと。世界的に有名なのが1914(大正3)年建造の太平洋とカリブ海を結ぶパナマ運河だが、同様の構造を持つ見沼通船堀はそれよりもずっと古い江戸時代中期、1731(享保16)年に建設された。
約1キロの見沼通船堀は芝川と東西2本の見沼代用水路が狭まる地点に設けられた運河だが、芝川(低)と代用水路(高)との水位差が約3メートルあるためそのままでは船は通れない。
そこで関(一の関、二の関)を作って水位を上げ、芝川から船を代用水路に通して行く。「こうして江戸から運ばれたのが肥料や塩、しょうゆ、雑貨など。江戸へは年貢米のほか野菜、薪(まき)、炭などが運ばれた」と話すのは、見沼まなベル・ガイドクラブ(TEL.048・873・9534)代表の小林昭さん(78)。 |
鈴木家住宅 |
見沼たんぼの周囲には桜並木が続く |
通船堀差配の建物
通船堀が芝川とぶつかり八丁堤を上がった道路沿いにあるのが通船堀差配役の鈴木家住宅(木造)。江戸中期の建造物は今も現役。瓦屋根の外観は当時の勢威をしのばせる。
八丁橋を渡り、芝川を越えて見沼通船堀東縁(ひがしべり)を歩くと代用水東縁に突き当たる。ここから同水路沿いを歩くと、左手に約1200ヘクタールの見沼たんぼの風景が…。8代将軍吉宗の新田開発奨励で開発されたが、今は主に畑として利用されている。収穫期を迎えた農作物の取り入れに農家は忙しそう。
トイレなどの休憩は川口自然公園で。同水路に沿って歩いて行くと浦和くらしの博物館民家園に到着。ここで江戸時代の農家や商家(油店・せんべい店)などを見て、昔の暮らしぶりを想像するのも楽しい。帰りは、バス停・念仏橋から浦和駅西口行きバスで。全コース約6.5キロ、所要時間約110分が目安だ。 |
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