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千利休の高弟「利休七哲」の一人に数えられる氏郷。「レオ」の洗礼名を持つキリシタン大名でもあった
興徳寺蔵 福島県立博物館写真提供 |
磐梯山や飯豊山など山々に囲まれた、自然豊かな福島県会津地方。城下町・会津若松市を中心とする同地方は、漆器や酒造りなどが盛んな“伝統産業の里”でもある。現在の同地の礎ができたのが大名・蒲生氏郷(がもう・うじさと、1556〜1595)の治世時代だ。会津若松市内には氏郷の史跡も多く、城下町らしい古い町並みも残る。また、同地では現在、町の至る所で漆の魅力をアピールする「会津・漆の芸術祭」も開催中で、旅に出掛けるには絶好の機会だ。
蒲生氏郷が築いた礎
文豪幸田露伴が「ナマヌルな奴では無い」と独特な表現で評した戦国大名蒲生氏郷。幼少時そば近く仕えた織田信長に才気を認められ、後に信長の娘をめとったほどのエリート武将だ。戦陣では常に先頭に立って戦う勇猛さを持つ一方で、行政手腕にも優れた能力を発揮したといわれる。
その氏郷が豊臣秀吉から会津を任されたのが1590年。氏郷の治世は約5年と短いが、その間、氏郷は鶴ヶ城の全面改修、城下町の町割り、漆器や酒など伝統産業の振興…と、次々に現在の会津につながる業績を残していった。
鶴ヶ城ボランティアガイドの田中嘉久さん(68)は「氏郷は会津人ではないが、会津にとって大功労者であり大恩人。今の会津があるのは氏郷のおかげといえるでしょう」と話す。
田中さんの案内で氏郷の史跡を回った。現在修繕中で来年春にリニューアルオープンする鶴ヶ城(若松城)は会津若松市のランドマークだ。1384年に葦名直盛が築いた館が始まりといわれ、氏郷の時代に7層の天守閣を築くなど大改修を行った。戊辰戦争時には約1カ月の激しい攻防にも耐え、難攻不落の名城として知られる。
氏郷の墓がある興徳寺も必見だ。同寺には《限りあれば吹かねど花は散るものを心短き春の山風》という氏郷辞世の歌碑も。会津若松観光物産協会では、市内散策モデルコースとして約3時間半で回れる「蒲生氏郷に学ぶ」コースを紹介している。 |
芸術祭出品作品「Inner side-Outer side」(田中信行)。漆のやわらかな光沢が美しい |
「漆の芸術祭」開催
おわんや皿、はしなど“普段使いの漆器”として定評がある会津漆器。会津と漆の関係ははるか縄文時代から続くが、工芸品として盛んに漆器が作られるようになったのは氏郷の時代から。氏郷が会津入りする際、旧領地の近江(滋賀県)から職人を同行させ、漆産業を奨励した。
同地では現在、漆文化の再発見と漆のさまざまな可能性を発信しようと「会津・漆の芸術祭」(11月23日まで、主催:福島県など)が開催中だ。会津若松市や喜多方市、三島町、昭和村を会場に、街全体を美術館に見立て多彩なアートや工芸品など漆作品を展示。地元の職人や全国から参加したアーティスト約100人が出品したほか、作品を巡るガイドツアーや漆器の制作体験、シンポジウムなども行う同県初の大規模な試みだ。
「これが漆? と驚くような作品もあります。古い町並みを散策しながら、いろんな作品や人情に触れあってみては」と同県。 |
丹精込めて造った酒を手にする杜氏(とうじ)・箭内和広さん |
日本有数の酒どころ
猪苗代湖の伏流水や豊富な米、寒暖のある気候…。会津は日本有数の酒どころだ。昨年の全国新酒鑑評会では、実に20銘柄が金賞を受賞し、都道府県別の金賞受賞数で福島県が全国1位に輝いた。
会津若松市内に点在する蔵元の一つ、宮泉銘醸(株)(會津酒造歴史館)を訪ねた。同社では酒造りの工程が見学できるほか、試飲や物販コーナーも。また、江戸から明治にかけての美術品や茶道具などを多数集めた名宝館も併設しており、“酒飲み”以外も楽しめるよう工夫されている。
同社の箭内(やない)和広さん(46)は語る。「会津は『一に水、二に米、三に人』といわれる酒造りの条件をすべて満たしていると思います。わたしたちは『誰かと一緒に飲みたい』と言ってもらえるようなお酒を目指しています」 |
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問い合わせ
鶴ヶ城ボランティアガイド TEL.0242・27・4005
会津・漆の芸術祭事務局 TEL.0242・28・6000
宮泉銘醸(株)/會津酒造歴史館 TEL.0242・26・0031
その他観光全般は会津若松観光物産協会 TEL.0242・36・5043 |
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