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南方熊楠が守った古木が残る「野中の一方杉」 |
自分が生まれ育った土地ではないのに帰りたくなる場所—、それが和歌山・熊野地方だという。過去の自分を断ち切り、手を合わせることで自分を切り替える。再生の地といわれる熊野にはそんなリセット効果があるようだ。そこで参詣道のひとつ、中辺路(なかへじ)ルートをたどり、熊野本宮大社を目指した。
熊楠が守った巨木
幾重もの山が折り重なる熊野の山々。その山あいに続く古道を人々は歩き、聖地を目指した。列車もバスもない時代は京の都から往復1カ月ほどもかかった。その旅を34回も繰り返したという後白河上皇をはじめ、1度より2度、2度より3度と足繁く通った旅人は古来数知れず。
「熊野の何が人をひきつけるのか?」。そんなことを思いながら、熊野の霊域の入り口とされる滝尻王子で手を合わせる。王子とは古道沿いに祭られた熊野権現の御子神のこと。滝尻王子から続く道は山道につぐ山道だが、継桜王子付近にはいにしえの風情が色濃く残る。
とりわけ「野中の一方杉」は深い山の霊気が漂う一帯だ。一本杉でなく「一方杉」。巨木の枝がすべて南方に枝を張り出していることからこの名で呼ばれる。1906(明治39)年の神社合祀令で皆伐採されかけた際、南方熊楠(みなかた・くまぐす)の説得で一部が残された。
粘菌をはじめ多分野の研究の発展に影響を与えた熊楠は、生態系を守ることの大切さを訴え、エコロジーの先駆者としても貢献した人物だ。伐採を免れた巨杉は今も威厳に満ち、1本の幹には大きな空洞があった。中は暖かく木肌から力強い生命の鼓動が聞こえてくるようで、こうした木々を守り抜いた熊楠の行動の偉大さを思い知らされる。
熊野の山中を自在に周遊し、世界を流浪した熊楠が晩年に過ごした田辺の自宅は、南方熊楠邸として、隣接する南方熊楠顕彰館(TEL.0739・26・9909)とともに公開されている。 |
かつて熊野本宮大社があった大斎原 |
霧の里、里山の道
熊野古道は険しく昼なお暗い道ばかりではない。雲海たなびく霧の里があれば、のどかな里山の道もある。特に伏拝王子付近は茶畑の広がるすがすがしい風景に心が和む。
集落の丘にある伏拝王子は、山のかなたに旅人が初めて本宮大社を望んだ場所だった。歌人の和泉式部は、ようやくここまでたどり着いて月の障りとなり、汚れた身で詣でるわけにはいかぬと嘆き悲しむ歌を詠んだ。伏し拝んだことから伏拝の名がついたともいわれる。
その本宮大社が水害のため現在の場所に移築されたのは1891(明治24)年のこと。それ以前は3つの川の合流点にある中州に鎮座していた。
熊野本宮大社の宮司・九鬼家隆さん |
そこは「大斎原」と呼ばれ、今の大社から徒歩5分ほどの場所にある。かつて壮大な社地があったことをしのばせる大鳥居と2基の石の祠(ほこら)があるのみだが、精霊を感じるのは気のせいではないだろう。
「この大斎原は生命の源といわれます。生まれた場所へ回帰することで自分をゼロに戻し見つめ直す。熊野を訪れることは『古里へ帰る行為』に近い心理かもしれません」と語るのは本宮大社宮司の九鬼家隆さん(54)だ。「古来、人は熊野にこもることで癒やされ再生してきました。再生の地であるがゆえに、ここに来たら命の尊さを感じてもらいたい。それは世界遺産・熊野が発信すべき役割でもあると思っています」と真摯(しんし)な瞳で語ってくれた。
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近露王子近くの田園にたたずむ古民家を生かしたカフェ。自家製野菜・米・みそを使った玄米定食や天然酵母パンなどヘルシーなメニューがそろう。玄米定食=写真=は1500円。
TEL.0739・65・0694
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TEL.0739・64・1900 |
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