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オホーツク人発見当時の地層を展示しているモヨロ貝塚館。特徴的な方法で埋葬されたオホーツク人の遺体や土器片はすべて本物である |
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歴史ミステリーを求め北海道へ
謎の民族・オホーツク人。1000年の昔、アザラシなどの海獣や豊かな魚群を追い流氷に乗ってサハリンから北海道へやって来た海洋狩猟民と考えられ、5〜9世紀の間、オホーツク海沿岸に居住。その痕跡は後のアイヌ文化に色濃く残ったといわれるが、彼ら自身は歴史から消滅。民族系統はいまだ謎のままだ。彼らは何者なのか、歴史ミステリーを求め夏のオホーツクを訪ねた。
埋葬の遺体を見学
オホーツク人の謎を解く決め手となる“遺留品”は少ない。イヌイットの海獣ハンターが今でも使う回転式離頭銛(もり)などの漁具、海獣や魚をかたどった独自の土器・骨角器、祭祀(さいし)に使ったとおぼしき大量のクマの骨。中でも異様なのは彼ら自身の遺体。頭に甕(かめ)をかぶり脚を折り曲げ胎児のように埋葬され、ことごとく先祖の故郷・サハリンを向いて眠る。このような埋葬法は世界に例がないそうだ。
オホーツク人が発見されたのは大正初め、網走市・モヨロ貝塚(国指定史跡)でのこと。発見したのは司馬遼太郎をしてトロイ発掘のシュリーマンに比肩すると言わしめた、理髪師でアマチュア考古学者の故・米村喜男衛(きおえ)氏。現在孫の衛さん(54)が館長を務める網走市立郷土博物館(TEL.0152・43・3090)の分館・モヨロ貝塚館では発掘当時の地層をそのまま展示。
「彼らの骨格を調べたら身長は約160cmで当時の日本列島人よりも高い。また出土した多量の遺留品により食料の大半は海産物だったと推測される」と衛さんが最新の研究結果を解説。しかし彼らの正体を完全に解き明かすにはまだ程遠い。むき出しに展示されたオホーツク人の遺体は来館者を見つめるのみで、いまだ謎解きを待っている。
開館時間は午前9時〜午後5時(月曜休館)。入館料120円。
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ところ埋蔵文化財センター「どきどき」では、 申し出れば常呂遺跡出土の土器片の復元現場を 見学、復元土器を手に取ることもできる |
サロマ湖畔、最大級の遺構
北見市のところ遺跡の森(常呂遺跡)は国内最大級の遺構。サロマ湖畔12万平方ábの森林からなり、オホーツク文化を含め古代〜各時代の集落跡が発見された。復元住居のほか、出土品の展示施設「ところ遺跡の館」(TEL.0152・54・3393)や研究施設が併設され、歴史を肌で感じることができる。
遺跡の館は午前9時〜午後5時開館(月曜休館)。入館料300円。 |
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【不思議遺産オホーツク】
現在、(社) 北海道観光振興機構(TEL.011・231・0941)、オ ホーツク圏観光連盟(TEL.0152・45・1885)は「不思議遺産 オホーツク」キャンペーンを10月31日(日)まで展開。 スタンプラリー形式で対象の歴史・環境遺産への来訪者 にプレゼントを進呈(抽選)している。対象のうち本文 で紹介した以外の主なオホーツク文化関連は次の通り。
詳細は問い合わせを。
【網走】北海道立北方民族博物館=日本で唯一、北方民族文化を専門に紹介
【紋別】オムサロ遺跡公園(紋別市立博物館)=擦文時代の村を再現 |
【北海道の歴史・文化“豆知識”】
稲作渡来により本州と北海道は別の歴史をたどる。本州は弥生文化に移るが、北海道は縄文文化を継続した「続縄文時代」、鉄器とともに、ハケで擦(こす)ったような文様の土器が出土した「擦文(さつもん)時代」、この合間に網走地区では「オホーツク文化」が出現。その後13世紀から「アイヌ時代」に移った。 |
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