|
人吉で生産される球磨焼酎の数々 |
|
共通語で“歩き回る”
熊本・人吉、城下町の旅情
江戸時代、人吉藩(現在の熊本県人吉市周辺)2万2000石一、とは幕府を欺き少なく見せた石数。外からうかがい知れない山間部には隠し田があり、実質は 10万石だったという。そのため人吉藩は豊かで、作家・司馬遼太郎は著者「街道をゆく」で「日本でもっとも豊かな隠れ里」と書いた。今でもこの「隠れ里」は健在。肥後・人吉を「さるく」(九州方言=歩き回る、うろうろする)と、豊かな物産と文化が旅人を温かく迎えてくれる。
球磨焼酎
肥後・人吉は球磨(くま)焼酎が有名だ。江戸の昔、豊かな米の収穫量を隠し、幕府の目を欺くため、米から焼酎を造ったのが球磨焼酎の始まりだという。現在も人吉には球磨焼酎28の蔵があり市民に親しまれている。人吉を訪れた折には蔵を巡って「さるく」のも良いかもしれない。
人吉観光案内人協会はJR肥薩線100周年に合わせ「人吉さるく」を開始。地元の観光案内人が、地元の人しか知らないすてきなスポットを丁寧に案内してくれる。協会では各種2時間の散策モデルコースを用意。また、モデルコースのほかに、人吉商工会議所ホームページ( http://www.hitoyoshi-cci.or.jp/)内にある申込書に希望のコース(焼酎蔵巡りがしたい─など)を書き込み協会へ送れば、希望に沿ったコース・時間で人吉を案内してくれる。
|
昔ながらのスタイルで駅弁を売る菖蒲さん |
観光列車
昔ながら・・・駅弁売りの声
人吉駅では昔ながらの光景に出合うことができる。「べーんとー、べーんとー」と懐かしい掛け声で駅のホームを練り歩くのは菖蒲豊實さん(64)。菖蒲さんは(有)人吉駅弁やまぐちの店長だ。首からつり下げた販売箱に昔ながらの名物「栗めし」「鮎ずし」を約15個詰め(重さは約10キロ)、観光列車「いさぶろう・しんぺい号」到着時など1日4回ホームを歩く。菖蒲さんはこの道39年。
「昔、停車時間3〜4分の間に販売箱に弁当50個を山盛りにして売り歩いた。すべて売り切れたね。当時は窓の外から乗車駅に手渡しできたけど、今は禁止されているのが残念」と往時を懐かしんだ。
「鮎ずし」は人吉を流れる清流・球磨川名物。「栗めし」は人吉盆地名産の甘い栗が食欲をそそる人気駅弁だ。価格はともに900円。
「いさぶろう・しんぺい号」は日本三大車窓の1つ、霧島連山の絶景を望む人吉駅〜吉松駅間の1日2往復の観光列車。開業時の逓信大臣・山縣伊三郎、鉄道院総裁・後藤新平が名前の由来。自由席もあるがボックスシートでくつろぎたい場合は指定席で。
「ウンスンカルタ」について説明する立山まき子さん |
|
“南蛮発祥”の遊び ウンスンカルタ
住民が復興、全国大会も
「ウンともスンとも」という言葉がある。「この語源はウンスンカルタにある」と語るのは、人吉市の「鍛冶屋町通りの街並み保存と活性化を計る会」(立山茂会長)会員の立山まき子さん(51)。ウンスンカルタとは約400年前、ポルトガルから伝わったとされるカード遊び。原形を失わずこの鍛冶屋町で遊び継がれてきたという。「ウン=1、スン=最高」という意味でトランプの元となったという説も。
江戸時代に全国的に賭け事として流行したが、賭け事に熱中するあまりだれもが「ウンともスンとも」ならない状態に陥り、仕事をおろそかにしたため、何度も禁令が出された。その結果、この人吉・鍛冶屋町以外では忘れ去られていったという。発祥のポルトガルでも絶えて久しく、鍛冶屋町でも戦前は数えるほどしか遊べる人がいなくなっていたが、立山さんをはじめとするグループが復興を図り、いまや地元の小・中学校でブームとなるまでになった。
ルールは簡単で、大人なら1時間もあれば覚えられるという。4対4のチーム制で、全国大会も開かれている。
人吉さるく
時間:午前9時〜午後5時まで
費用:1時間1000円
問い合せ:TEL0966-22-3101 |
九州旅客鉄道株式会社
http://www.jrkyushu.co.jp(外部サイト) |
鍛冶屋町通りの街並み保存と活性化を計る会
TEL:0966-22-2566 |
|
| |
|