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新緑の金色堂(覆堂) |
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奥州藤原氏の息吹感じて
仏教による平和都市の建築を─。国内15番目の世界遺産として登録が注目される岩手県・平泉=平泉町=は、かつて奥州藤原氏の理想郷建設が進められた自然豊かな地だ。この季節、中尊寺のハスや毛越(もうつう)寺のアヤメが見ごろを迎え、両寺院に通じる遊歩道にはアジサイが咲き誇る。歌人や俳人の句碑も多く残り東京からのアクセスもいい平泉は、散策好きの定年世代にお勧めだ。
《夏草や兵どもが夢の跡》、《五月雨の降り残してや光堂》。
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毛越寺の浄土庭園 |
俳人・松尾芭蕉の名句で知られる平泉は奥州藤原氏ゆかりの地。平安末期、藤原三代によって栄華を極め、平安京に次ぐ大都市に。この地を訪れた平安歌人の西行は、奈良の吉野山に匹敵する桜山が東の束稲山にあったと詠んでいる。
兄・頼朝に追われ最期を遂げた源義経や武蔵坊弁慶の立ち往生は有名だが、平泉の文化遺産としての価値は奥州藤原氏が信仰した浄土思想を基に、周囲の自然環境と融合した独自の仏教寺院・浄土庭園を成立させたことにあるという。前九年・後三年の合戦で自らの家族を失った初代清衡について、古都ひらいずみガイドの会の藤木洋太郎さん(70)は「非戦を誓い、合戦で亡くなった人の鎮魂のために仏教寺院を造ろうとした清衡。敵も味方も区別なく平等にと願ったのでしょう」。
藤木洋太郎さん |
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無量光院跡や骨寺村荘園遺跡など平泉の文化遺産の中でも、中尊寺は別格だ。多くの建造物が消失した中で、1124(天治元)年に清衡が造立した国宝の金色堂は唯一現存する中尊寺創建当初のもの。風雪よけの覆堂の中には金箔(きんぱく)を押した皆金色の阿弥陀(あみだ)堂があり、仏壇の中には初代清衡、二代基衡、三代秀衡の遺体と四代泰衡の首級が納められている。
そのほか寺内には、約3000点の平安美術の多くが見学できる宝物館や史跡なども。
“芭蕉の道”たどる
毛越寺へ続く遊歩道の入り口付近に咲くのが中尊寺ハス。もともとは四代泰衡の首おけの中から発見されたハスの種子で、5年がかりのプロジェクトによって1998年7月に開花した。この遊歩道は「美しい日本の歩きたくなるみち500選」の一つ、「奥の細道・平泉のみち」。5年ほど前に整備され、道の左右には色とりどりのアジサイが咲く。道中、舗装のない下り道や滑りやすい場所もあるが、鳥のさえずりや川のせせらぎ、池を泳ぐアメンボ、山ユリの花など自然豊かなコースだ。
中尊寺から毛越寺に通じる遊歩道。7月上旬までアジサイが見ごろだ |
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800年の時を経て現代によみがえった中尊寺ハス |
日本有数の浄土庭園で知られる毛越寺は平安時代の伽藍(がらん)遺構がほぼ完全に保存されるなどその文化的価値から特別史跡・特別名勝の二重指定を受ける。別名「花の寺」とも呼ばれ四季折々の風情が楽しめるが、6月下旬からは約3万株のアヤメが咲くあやめ祭りが有名だ。庭園脇には「夏草や~」の句碑もひっそりと立つ。
平安時代食
平泉に居を移すまで清衡が暮らした江刺=同県奥州市=に数々の平安建築物を再現した「えさし藤原の郷」。ドラマや映画のロケ地として有名な同所では文献資料を研究し、現代人の“舌”に合うように作られた「平安時代食=写真」(要予約)に舌鼓。料理は強飯やむなぎ白蒸し、唐菓子など10種以上。「当時はだしのみの味付け。調味料は別に取っていた」(同施設スタッフ)と、別皿に盛られた塩や米酢などで調整できる。
岩手県観光協会
TEL019-651-0626 |
えさし藤原の郷 TEL0197-35-7791 |
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