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天草西海岸からの夕景 |
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来島100年「五足の靴」の足跡たどる
与謝野寛 (鉄幹)、太田正雄 (木下杢太郎)、北原白秋、吉井勇、平野万里。5人の若き詩人、歌人が南蛮情緒へのあこがれから熊本県天草を旅して今年で100年。交代で匿名執筆した紀行文「五足の靴」は新聞に連載され、日本耽美(たんび)文学の出発点になった。上島と下島を主島とする天草は美しい自然とキリシタン文化の薫りが残る信仰のあつい島。最近では本渡を中心に団塊世代の移住先としても力を入れているという。5人が訪れた天草には南蛮文化を紹介する資料館のほか、「五足の靴」ゆかりの史跡や記念碑など見どころがたくさんある。
5人の詩人
約1カ月に及ぶ九州旅行をした5人にとって、最大の目的は大江村で暮らす「パアテルさん(神父)」を訪ねること。1907(明治40)年8月、長崎県茂木から船で富岡に入った一行は大江村を目指し、約32キロの険しい道を徒歩で進んだ。
「げたや草履ではなく、一行は革靴という“ハイカラ”な格好。特に正雄はゲーテのイタリア旅行に関心があり、自分も天草に行けば生まれ変わることができると思っていたようです」と観光ボランティアガイドの田原國光さん (66) は話す。
先を急ぐ寛と正雄とは対照的に、白秋ら3人の足取りは遅く、天草なまりの強い老女やガマを丸飲みにするシマヘビなど天草ならではの風土を体感したようだ。現在では、天草最古という下田温泉の近くに約3.2キロの「五足の靴文学遊歩道」が整備され、5人が歩いた道をたどることも。道中には主食だったサツマイモを植えた段々畑の跡や天草灘と奇岩を眺望する展望所があり、海岸を打つ波の音が往時をしのばせる。
また、一行は古くから庄屋である上田家を訪れ、天草の乱を考証している。今では天草の古文書や古高浜焼の資料などが公開され、隣の高浜焼寿芳窯では陶芸や絵付け体験も。
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道田隆俊さん |
熊本・天草を訪ねる
神父の功績
布教活動のため、1892(明治25)年に天草に移り住んだフランス人のガルニエ神父は「パアテルさん」と呼ばれ、質素倹約の暮らしを徹底していた。当時、崎津天主堂の司祭も兼任していたガルニエ神父を訪ねた「五足の靴」の一行。天草言葉を上手に話す神父から、天草キリシタンの歴史を学んだという。
自分の母親もガルニエ神父に育てられたという道田隆俊さん (86) は「パアテルさんはおじいちゃんのような存在。宗教にかかわりなく同じ態度で育ててくれて、自分は麦飯を食べて、パンやぶどう酒は貧しい人や病気の人に与えていました」と感慨深げに話す。
ガルニエ神父が私財を投じて建設した大江天主堂は、今も大江地区の信仰のシンボルとして小高い丘に建っている。大江天主堂のそばには隠れキリシタンの暮らしや信仰などを伝える資料が豊富な天草ロザリオ館も。同館前の売店ではサツマイモの素朴な甘味が楽しめる「こっぱもち」を販売している。
ガルニエ神父が私財を投じて1933 (昭和8年) 年に建てた大江天主堂。すっきりとした白色が美しいロマネスク様式の教会 |
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「海の教会」ともいわれる崎津天主堂(対岸中央) |
わずか3日間の天草滞在にもかかわらず、白秋の代表作「邪宗門」の誕生や正雄のキリシタン文学者としての道へつながった旅。天草の歴史的な風土に触れながら、その山肌を自らの足で踏破した「五足の靴」の足跡が今も確かに残っている。
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