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釜屋間歩を目指し、本谷地区の森の中を歩く。総面積400万平方メートルという銀山遺跡のうち調査が済んだのはたった0.1%ほどだという |
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“プラタレアス” ─ 銀の島。かつて世界の銀流通量の3分の1を占めた日本はこう呼ばれ、そしてその多くが島根・石見銀山から採掘された。今年7月、国内で14番目、産業遺産としてはアジア初となるユネスコ世界遺産登録によって、“石見 (いわみ) ”という名を知った人も多いだろう。自然と人が共存し、代々受け継がれてきた石見の暮らし。秋には夜を徹して舞う神楽の奉納がさかんになる。知れば知るほど面白い、石見の魅力を探しに行こう。
製錬所跡や間歩、銀の道
石見銀山は16世紀から約400年間にわたって採掘されてきた世界有数の鉱山遺跡。鉱山跡や鉱山町、銀の積み出し港へ通じる "銀の道" など、その規模は大田市大森町を中心に、仁摩町や温泉津 (ゆのつ) 町にまで及んだ。鉛から銀を作る灰吹法 (はいふきほう) という製錬技術が導入され、世界的な銀鉱山に。良質の銀は海外にも輸出されアジアとヨーロッパ諸国を結ぶ原動力となったが、今では遺跡の大部分が竹やぶの下に眠っている。
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観世音寺から眺める大森の町並み |
赤や黒の石州瓦の甍 (いらか) が美しい大森の町並みが約1キロに渡って続く。道中には銀山で働く人の保存食でもあったという黒糖菓子の「げたのは」や携帯用ランプのカンテラを売る店のほか、パン屋さんや植木に水まきをする人など、この地で暮らす人の普段の生活も垣間見える。
大森代官所跡にある石見銀山資料館では油と綿芯 (しん) を入れて火をともしたサザエの貝殻や、鉱石を掘った道具、銀を運んだ革袋など貴重な資料が展示され、鉱山内で行われた作業の様子がよく分かる。
ガイドと遺跡を歩く
石見銀山の遺跡は間歩 (まぶ) と呼ばれる坑道や、露頭掘りの跡など大小合わせて600以上。石見銀山ガイドの会の安立聖 (さとし) さん (61) の案内で遺跡の内部が唯一公開されている龍源寺間歩を見学。ひんやりとした坑道の横幅は人がすれ違うのがやっとというほど。坑道と垂直に掘られた鉱脈跡を見ていると時折地下水の音が聞こえてくる。
小学校の教師だった安立さんは子どもがいればどこでも授業を開始。「鉄砲伝来のきっかけは石見銀山の銀を求めて起きたんだよ。鉱山内では10歳くらいの子ども (手子) も働いていて、この地方では子どもが親の手伝いをすることを "手子をする" と言うんだよ」
安立 聖さん |
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足に自信のある人はガイドツアー (有料) で仙ノ山往復コースを歩くのもいい。森の空気を味わいながら間歩や遺構などを目の当たりにすると石見銀山のスケールの大きさに圧倒される。「ほかの遺跡の多くが富の集積なのに対し、ここは銀山で働いていた人の生活や労働の痕跡。結果的に自然と共生してきたことが登録の決め手になりました」と安立さん。
秋は各所で奉納神楽
この地方の秋祭りに欠かせないのがなんと言っても石見神楽。県内には約50の社中があり、週末になると必ずどこかの社中で奉納神楽が行われている。地域や社中ごとに違いはあるが、「特徴はこの地方の石州和紙で作った面や絢爛 (けんらん) 豪華な衣装。石見人の気性にあった速いテンポで踊ります」と浜田市商工観光課の篠原修さん (45) 。太鼓に手拍子、横笛という囃子 (はやし) の音色が響き、舞の熱気が心地いい。
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石見神楽フィナーレの定番は「大蛇 (オロチ) 」。大蛇の胴には石州和紙が使われている |
日本書紀や古事記などを題材にしたものが多く、演目は30以上。夜通し踊ることも普通というが一晩で全部を踊るのは不可能だとか。子ども神楽の恵比寿様があめ玉を配る一幕では子どもたちが目を輝かせ「きゃっきゃ」とはしゃぐ姿がなんとも愛らしい。
大阪万博を機に日本各地や海外での公演も増えたという石見神楽。篠原さんは話す。
「伝統を守りつつ歌舞伎などの要素を取り入れながら少しずつ変わっていくのが石見神楽です」
石見銀山(大森代官所跡)へのアクセス
(1) 萩・石見空港からバスと特急電車でJR大田市駅下車、同駅からバス (所要時間約120分)
(2) 広島駅新幹線口から高速バス (所要時間約150分、1日2便)
※お出かけの際は交通アクセスの問い合わせを。銀山周辺には温泉津や三瓶などの温泉も。 |
石見銀山ガイドの会
TEL:0854-89-0120 |
石見神楽
問い合わせ:浜田市商工観光課/TEL0855-22-2612 |
島根の観光全般やアクセスの問い合わせ
にほんばし島根館TEL:03-5201-3310 |
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