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  東京版 令和7年7月下旬号  
「逃げずに自分と向き合う」  女優 石田えりさん

「山よりも海が好き」と話す石田さんは海が近い千葉県のある町に住み、サーフィンが趣味。「クック諸島のラロトンガ島に行っていたときにはダイビングの資格を取り、海に潜っていました」とも
長編初監督映画「私の見た世界」7月26日公開
 映画「遠雷」などで知られる女優の石田えりさん(64)が長編映画の監督に初挑戦—。松山ホステス殺害事件の犯人、福田和子をモデルにした映画「私の見た世界」で、顔を整形し偽名を使い、約15年におよぶ逃走のあげく逮捕された福田の心理や追い詰められた世界を描いた。「生きていると、誰もが『逃げたい』ことに出あうと思うんです。でも、なかなか逃げ切れない。逃げたい衝動から解放されるには、勇気を出して自分と向き合うしかないというメッセージを込めました」と石田さん。同映画は26日から、東京ほか全国で順次公開される。

  松山ホステス殺害事件が起きたのは、今から43年前の1982(昭和57)年。同事件で全国に指名手配された福田は、警察の目を欺いて時効直前の約15年間逃走を続け、その名前は昭和から平成にかけての日本を騒がせた。「若いころ罪を犯して刑務所に入れられたときに受けた性被害体験が、その後の彼女の人生に大きな影響を及ぼしたと思います」と石田さん。映画では、結婚して子どもがいる福田が殺人事件を犯して“裏の世界”でしか生きられなくなり、追い詰められていく。そんな彼女の状況を描いていく中に、自らのメッセージを込めた映画作りを目指したという。

 今作で長編映画の監督、脚本、編集を務めたうえ主演した石田さん。女優としての映画デビュー作は、78年公開の「翼は心につけて」のヒロイン役。そして、出世作となる「遠雷」(根岸吉太郎監督、81年)への出演で、日本アカデミー賞優秀主演女優賞と新人俳優賞を受賞し、「目の前の窓がパーッと開けた感じでした」。その後は、「華の乱」(深作欣二監督、88年)や「嵐が丘」(吉田喜重監督、88年)、「飛ぶ夢をしばらく見ない」(須川栄三監督、90年)への出演で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を2度受賞するなど、そのバイタリティーあふれる演技により、映画やドラマで活躍していく。

 そんな石田さんが「自分の体験を映画にしたい」と初めて監督に挑んだのが2019(令和元)年の短編映画「Control」だった。

 石田さんはこう話す。「映画監督はものすごく勉強のできる人がなるものだと思っていたから、監督になろうとは夢にも思っていませんでした。たまたま、短編映画を撮ることになったんです」

 しかし、これを機に映画作りへの意欲はどんどん強まっていく。3〜4年前から、石田さんは温めていた構想をもとに、今作の脚本を書き始める。もともと事件ものの本を読んだり舞台を見たりすることが好きで、福田に関する本も10年以上も前に読んで印象に残っていたという。「福田さんの人生をベースに、自分と向き合うまで問題は解決しない、というメッセージを込めた映画が作れないか」とひらめいたのは、ある夜に怖い夢を見たとき。怖い顔で追いかけてくる女性の幽霊から逃げようと必死に走るものの、なかなか逃げ切れない。そこで、「意を決し後ろを振り向いたら、姿は消えていました」。

初めはアイドル志望
 熊本県出身の石田さんは、14歳のときにアイドル歌手を目指して上京。しかし、預けられたのが、森進一などの演歌歌手を手掛けた音楽プロデューサー、チャーリー石黒だった。いわば「畑違い」の石黒のもとでレッスンに励むが、アイドル志向の女の子に演歌は無理があった。ほどなく歌手の夢は諦めざるを得なくなり、女優へと方向転換する。

休業が転機に
 デビュー後、次々と映画の評判作に出演し、実力派女優として花開いた石田さん。だが、30代半ばごろから体に変調をきたすようになる。「仕事だから」と我慢していたら拒絶反応が起きた。「ある大きな舞台の主役だったんですが、稽古している途中でセリフが言えなくなりました。声が出なくなったんです。『もう無理』と思い、お金を払って降板しました」。また、映画「釣りバカ日誌」シリーズでも7作目の「釣りバカ日誌スペシャル」(森﨑東監督、94年)を最後に降板。石田さんは主人公・浜崎伝助の妻・みち子役で第1作から出演していたが、「(続けていたら)病気になりそうでした」と当時を振り返る。所属事務所の社長は「これから、どういう方向で仕事をしていくか1年掛けてじっくり考えて」と休業を提案。石田さんは「なるだけ日本人がいない場所に」と南太平洋のクック諸島に飛ぶ。「笑顔が素晴らしい少女たちが歓迎してくれて、まるで昔話の『浦島太郎』に出てくる竜宮城のような場所でした」。この島で自分と向き合った石田さんは、「自分は器用なタイプの女優ではないので、これからは心が動くような作品に出演を絞ろう」と心に決めたという。

 その後、ベネチア映画祭オリゾンティ部門オープニング作品「サッド ヴァケイション」(青山真治監督、2007年)や、ハリウッド映画デビューとなった「G・I・ジョー:漆黒のスネークアイズ」(ロベルト・シュベンケ監督、21年)などに出演する一方で、映画監督の道を歩み始めた石田さん。

 長編初監督作「私の見た世界」では、製作費用の捻出に苦労した。「低予算での製作でしたが、全て自腹で賄いました」と明かす。スポンサーの話はあったが、なかなか決まらない。「ぐずぐずしているとすぐ70歳になってしまう。監督をやるなら体力のある60代じゃないと難しいと思い、決断しました」。今後も「映画監督は続けたい」と石田さん。女優と監督の二刀流で、これからの人生を歩んでいこうと考えている。


©2025 Triangle C Project
映画「私の見た世界」
 監督・脚本・編集:石田えり、出演:石田えり、大島蓉子、佐野史郎ほか。69分。日本映画。 

 26日(土)から、シアター・イメージフォーラム(Tel.03・5766・0114)ほかで全国順次公開。

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