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  東京版 令和4年12月下旬号  
演奏は“命”そのもの  サックス奏者・坂田明さん

坂田さんは、コロナ禍における日本社会の音楽活動軽視について憤りに近い思いを語る。「今の自由な世の中になっても、『非常時は歌舞音曲禁止』というのが、日本社会の底流に潜んでいる。なにごとも“役に立つこと”が優先されているようですが、しかしそれだけで人間は生きていくことができません。欧米にいる音楽仲間らからは国が音楽家を厚く保護していると伝え聞いています。文化が、音楽が滅びれば国が滅びます。そのことを今一度皆さんに考えてほしいですね」
「母」がテーマのジャズ・アルバムに参加
 「音楽とは僕の生きている証し。今の自分のベストの音を奏でる演奏は“命”そのものです」と語るのは、フリー・ジャズのサックス奏者・坂田明さん(77)。飄々(ひょうひょう)とした人柄とユーモラスな語り口で、喜寿の現在もタレントやエッセイスト、そして「ミジンコ研究家」としてパワフルに活動を続けている。そんな坂田さんがほかのジャズの巨匠らとともに参加したコンピレーション・アルバム「ソング・フォー・マイ・マザー〜思慕」では、情熱的な音色で亡き母への思いをつづっている。「母の存命中はお互い良い関係とはいえませんでしたが、今は感謝の念しかありません。母への追悼ができたようで、このような機会をいただいたことに感謝しています」

 多彩かつ強烈な演奏スタイルから繰り出されるサックスの音色はハチャメチャなようでいて時に甘く、時に狂おしく響き、人々を魅了する—。そんな音楽を約半世紀にわたり奏でてきた坂田さんに、「フリー・ジャズとは何か?」と問えば、「それが何かと考えるのは、皆さんもうあきらめていただきたい(笑)。分からなくていいんです」と回答。そして、フリー・ジャズのような即興演奏を“音楽の根源”と語る。「学校では楽譜に書いたものを音楽と教えますが、譜面が生まれる前、演奏者は皆、即興で音を奏でていたはずです」

 そんな楽譜に残らない一期一会の音楽だからこそ、聞いた側がどう受け取るかに任せていると坂田さん。

  「実は弾いた方は昨日の音をさっぱり忘れているのです(笑)。聞いた人がその音楽体験を人生にどのように位置付けるか。僕が言葉にする必要はないと思います」

 坂田さんは1945年、広島県呉市ののどかな海辺の集落で誕生。戦後の食糧難と重なったこともあり、幼少時はほぼ自給自足の生活だった。「家は運送業のほか畑もやっていました。きょうだいで僕一人が男だったこともあり、朝5時から家の手伝いに駆り出されました。大変でしたが、いろいろいたずらすることで心の均衡を保っていましたね(笑)」

 両親は駆け落ち同然で結婚したことで親から勘当され、苦労して坂田さんらきょうだいを育てた。母親は明るくて料理上手な人だったというが、「怖かったです。もちろん思慕の感情はありますが、いたずらして簀(す)巻きにされたりしたので、それがごっちゃになっています」と笑う。

中学でジャズに傾倒
 坂田さんにとって転機は中学時代。映画「墓にツバをかけろ」(1960年)のテーマ曲「褐色のブルース」をラジオで聞き、“大人の世界”を垣間見たような強烈な感情が押し寄せた。「それが初めて聞いたモダン・ジャズでした。そこから僕の人生の核が音楽になっていったように感じます」

 高校時代のブラスバンドを経て、大学ではモダン・ジャズのサークルに入部。そこでサックスと出合う。「漁師か船乗りになるため広島大学の水産学科に進学したのですが、手違いがありその進路が断たれたため余計ジャズにのめりこみました」

 大学ではプランクトンを研究。だが卒業間際、当時付き合っていた女性(後の妻)に、「あなたには音楽しかない」と言われ発奮。69年に、24歳で上京し働きながら「細胞分裂」というユニットで音楽活動をスタートした。「学生時代、ジョン・コルトレーン(モダン・ジャズ、フリー・ジャズ、それぞれに大きな功績を残したサックス奏者)のコンサートが広島で開かれた折、楽屋を訪問。サインをもらいに行ったのですが、本番が終わってもまだ演奏を続けていたコルトレーンの、『音楽家としての人生』を懸命に“生きる”姿に圧倒されました。自分もこんな感動を人に伝えたいと思ったのが、音楽家としての第一歩です」

 そして72年、ひょんなことで縁を持ったジャズ・ピアニスト山下洋輔の楽団に入ったことで、音楽活動が軌道に乗った。「上京後、3年でものにならなければ帰るつもりだったので、ぎりぎりでした」

ジャンル横断し演奏
 「山下洋輔トリオ」を79年に独立後、「坂田明トリオ」などを結成したほかソロでも活動。ジャズの枠にとらわれず、例えば怪談の朗読に合わせ演奏するなど、ジャンルを横断しさまざまな分野のアーティストらと共演を果たす。「サックスは洋楽器ですが、吹いている僕は日本人。ジャンルでも楽器でもなく、(そんな上辺だけのものではない)中身の人間が重要。そこに行きつけば世界中のどんな人とも演奏できるのです」

 また、大学時代の研究の延長としてミジンコの研究も続けている。「“命の在り方”を見学しているだけです。ミジンコの姿は“命”そのもの。観察を続けているうち、ふとその懸命に生きる姿があの日のコルトレーンに重なったのです。僕にとってはサックスの演奏とミジンコの観察は同じもの。どっちも“命”を感じる行為なのです」

 2002年、57歳のときその強烈な演奏スタイルがたたったのか、脳内出血で坂田さんはダウン。死も覚悟したという。「死への恐怖はなくなりました。でも、生き残ったということは、自分が果たすべき役割がまだ残っているということ」と奮起。つらいリハビリも乗り越え、演奏活動を再開。コロナ禍前には年間100回近くステージに立っていた。

 今後の音楽活動について坂田さんは語る。「僕はずっと我流。だからこそ伝統に縛られず誰も手を付けていない場所を開拓できる。演奏活動は“生きること”。命が続く限り挑戦を続けていきます」

♪ CDアルバム「ソング・フォー・マイ・マザー〜思慕」♪
 母をテーマとしたオリジナル曲を中心に、日本のジャズの巨匠7人がそれぞれ奏でる母へのオマージュ。文化庁芸術祭参加作品。

 収録楽曲:増尾好秋(ギター)「ベージュの帽子(Her Beige Hat)」、佐藤允彦(ピアノ)「Obi(帯)」、山下洋輔(ピアノ)「故郷の人々(スワニー川)」、豊住芳三郎(ドラム)「Woman From Hot Country(火の国の女)」、稲垣次郎(テナー・サックス)with塩崎容正(ピアノ)「You Don't Know WhatLove Is」、坂田明(アルト・サックス)「母へ」、大野俊三(トランペット)withサーシャ・オオノ(チェロ)「母さんの歌」。特別寄稿エッセー:浅井愼平、西舘好子。38分。

 2750円。ラッツパック・レコード(株)Tel.03・5468・0090

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