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  東京版 令和4年7月下旬号  
沖縄復帰50年 平和の尊さ描く  映画監督・五十嵐匠さん

五十嵐さんは映画界に入るとき、師匠のドキュメンタリー映画監督・四宮鉄男から「劇場映画を10本以上撮らないと監督と名乗れないぞ」と言われた。映画監督だけで生活できている人は少なく、テレビドラマやCMを撮ったりしながら映画を撮る人が多いからだ。劇場映画を13本撮った五十嵐さんも最近まで、自らを「映画監督とは言えませんでした」と話す
映画「島守の塔」、7月22日公開
 映画監督の五十嵐匠(しょう)さん(63)はこれまで、“戦場のカメラマン”沢田教一や一ノ瀬泰造、陸軍軍人・桐野利秋、陶芸家の板谷波山など、分野にとらわれず実在の人物をテーマに映画を撮ってきた。22日から公開の映画「島守の塔」では、太平洋戦争末期、沖縄戦当時の沖縄県知事だった島田叡(あきら)と警察部長の荒井退造にスポットを当てた。「東大卒のエリート官僚と苦労人で実直な男が組むことで、悲惨な戦場となった沖縄で多くの県民を県外などに疎開させることができたのだと思います」と五十嵐さん。沖縄の本土復帰50年という節目の今年、同作で平和の尊さを訴える。

 太平洋戦争末期の1945年、米英を主力とした連合国軍と旧日本軍の間で、凄惨(せいさん)な沖縄戦が始まろうとしていた。連合国軍によって沖縄の空と海が軍事的に制圧されているこの時期に日本本土から派遣された沖縄県知事・島田叡と警察部長の荒井退造は、「老幼婦女子」と学童の県外疎開や島内避難に力を注ぐ。しかし、戦況が長期化するにつれ県民を巻き込んだ激しい地上戦に—。そして、沖縄本島南部に追い込まれた旧日本軍は司令官らが自決、島田と荒井はガマ(自然にできた洞窟。沖縄戦では住民の避難場所や軍事拠点、医療施設として使用された)から出るのだが…。

 沖縄の施政権は72年にアメリカから日本に返還された。現在、島田と荒井が潜んでいたガマの前には、県民の安全確保に挺身(ていしん)して戦没した県職員469柱を祭る慰霊塔「島守の塔」(「摩文仁=まぶに=の丘 平和祈念公園」、糸満市)が立つ。

 「自分にはまねできないと思えるような人物に魅力を感じる」と言う五十嵐さんが、島田と荒井の存在を知ったのはあるプロデューサーの言葉だった。当時、五十嵐さんは政治家・田中角栄の映画を作りたいと考えていたが、角栄の親族から許可が得られず頓挫していた。

 そんなとき、「角栄よりも面白い人物がいる」と教えてもらったのが「島田叡」だった。さっそく沖縄に行って調べると、今度は「荒井退造」のことを知る。栃木にある荒井の生家を訪ねたりするうちに、この2人を主人公にした映画を撮ろうと決意する。「島田は兵庫県、荒井は栃木県の出身。ともに沖縄県外の出身者なので客観的に沖縄戦をとらえることができた。そんな2人の姿は映画の視聴者も共感できると思いました」

撮影5日目で「延期」
 五十嵐さんが脚本を書き上げてスタッフやキャストもそろい撮影が始まってから5日目、スタッフ11人が倒れるというアクシデントに見舞われる。その後の検査で熱中症だったと分かったが、新型コロナウイルス感染が全国に拡大する中、撮影は延期されることに—。「映画で撮影を延期するというのはほとんど製作中止と同じなんです。ただ、僕はこのまま中止にしたくなかった」。「鉄の暴風」と称される沖縄戦のさなか、軍の圧力にあらがいながらも県民の命を守ろうとした2人の物語を中止にできないという気持ちが強かった五十嵐さん。すでに当初予算の相当部分を使っていたため、資金集めのために企業などを訪問して協賛を募る一方、製作委員会の地方新聞社を通じて一般の人からのサポーター支援もお願いした。そんな努力が功を奏し撮影再開へ。中断から1年8カ月ぶりとなる昨年11月、再開するのを待っていてくれた役者やスタッフで撮影が再開され、12月にクランクアップした。

学生時代に自主映画
 五十嵐さんは青森県出身で、父親が大の映画好きという環境で育った。「押し入れいっぱいに映画のサントラ盤があったのを覚えています。8歳のときに外国製の8ミリカメラを父が買ってくれました」。将来、映画監督になること以外、「考えたことがない」というのも自然の流れだった。「学校の先生の免許を取れば、あとは好きにしていい」と父から言われた五十嵐さんは、立教大学文学部に入学する一方、シナリオセンターで脚本を学び自主映画を撮っていた。在学中に自主製作した45分の映画「幻影肢」が「太陽を盗んだ男」で知られる映画監督、長谷川和彦の目に留まり、彼の推薦で池袋の劇場で上映された。「著名な監督から認められてすごくうれしかったですね」

 大学卒業後は、兼高プロダクションに入社し、TBSテレビ「兼高かおる 世界の旅」の制作に携わる。しかし、「このままでは映画監督になれない」と映画界に転身し、映画監督の四宮鉄男に師事。30歳のとき「津軽TSUGARU」で劇場映画デビューを果たす。

実在の人物に興味
 子どものころから人に興味があったという五十嵐さん。電車に乗っていても「前に座っている人がどんな生活をしているのか、家族構成はとか、いろいろ考えてしまいます」。

 「SAWADA 青森からベトナムへ ピュリッツァ—賞カメラマン 沢田教一の生と死」(96年)、「地雷を踏んだらサヨウナラ」(99年)、「HAZAN」(2003年)、「半次郎」(10年)など、これまで実在の人物をモチーフに作品を作ってきたが、映画化途中であきらめた企画もあったという。それは俳人の尾崎放哉(ほうさい)だ。「放哉の俳句はすばらしいのですが、酒乱の放哉には好ましい部分が見いだせなかった」

 沖縄戦での島田と荒井の物語が公開されようとしている今、五十嵐さんが「次の映画にしたい」と思っているのは花田ミキという伝説的な保健師。一般にはあまり知られていないが、戦後まもなくポリオの集団感染があった青森県八戸市で当時最新の「ケニー療法」でケアした。実は五十嵐さんは2歳のとき、その花田に命を助けられた経験がある。母と一緒に乗っていた汽車の車内で突然呼吸が止まった幼い五十嵐さんに、たまたま同じ汽車に乗っていた花田が一時的な処置を施し、自衛隊のジープに乗せて青森市内の病院に運んでくれた。そんな保健師の人生を「来年公開のドキュメンタリー映画にしたい」と準備を進めている。


©2022 映画「島守の塔」製作委員会
「島守の塔」 日本映画
 監督:五十嵐匠、脚本:五十嵐匠、柏田道夫、出演:萩原聖人、村上淳、吉岡里帆、池間夏海、榎木孝明、香川京子ほか。131分。

 22日(金)から、シネスイッチ銀座(Tel.03・3561・0707)ほかで全国公開。

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