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  東京版 令和4年5月下旬号  
語り継ぎたい 寂聴の言葉  ドキュメンタリー監督・中村裕さん

1998年に「源氏物語」(全10巻)を現代語に完訳し、2006年には文化勲章受章。そんな寂聴が晩年に力を注いだのが法話での人々との語らいだった。住職を務めていた天台寺(岩手・二戸)や寂庵での法話で、「先生(寂聴)は人々に活力を与えながら、自分もパワーをもらっていた」と中村さん。「コロナ禍で丸1年法話の機会を奪われたのはかわいそうだった」と振り返る

瀬戸内寂聴に17年密着、ドキュメンタリー映画27日公開
 昨年11月、99歳で亡くなった瀬戸内寂聴。小説家・瀬戸内晴美として絶頂期にあった1973年、中尊寺(岩手・平泉)で出家し法名・寂聴となった後も、死去する年まで現役作家として執筆を続ける一方、晩年まで法話を行うなど作家、僧侶として波瀾(はらん)万丈の人生を送った。そんな寂聴に17年間密着して取材したドキュメンタリー映画「瀬戸内寂聴99年生きて思うこと」が27日から公開される。監督の中村裕さん(62)は「心の葛藤を抱える人々にとって必要な人がいなくなった。それだけに先生(寂聴)が残した言葉を語り継がなければいけない」と話す。

 映画「瀬戸内寂聴99年生きて思うこと」の中で、はっとするシーンがある。寂聴が京都に開いた寺院・寂庵でリハビリ中に、理学療法士から言われて、座った状態から立ち上がろうとするが、体力が衰えた寂聴はなかなか立ち上がれない。照れからか、笑い続ける寂聴の姿が体の状態の深刻さを物語っていた。中村さんは、そんな寂聴の弱さにもカメラを向け続けた。「僕もそんな光景を見るのは初めてなので驚きました。でも、立ち上がれない自分を笑うところが先生の個性なんだろうなとも感じて…」。他人に見せたくないような姿も含めて、映画に撮りたかったという。

 生前、寂聴は僧衣以外の私服姿を撮られるのが嫌で、特に「元気がない様子を撮られるのはとても嫌がった」(中村さん)。その寂聴がなぜ、中村さんにだけ撮影を許したのか。

「死ぬまで撮って」
 民放やNHKなどのドキュメンタリー番組のフリーディレクター、中村さんが寂聴と出会うきっかけは2004年、民放のドキュメンタリー番組「情熱大陸」の取材だった。最初、名古屋・御園座で講演する寂聴を撮影しようとカメラを持ってきたものの、マスコミやたくさんのファンに囲まれていた寂聴を遠くから見ているだけで、近づけなかった。寂聴は、「かの子撩乱」「美は乱調にあり」「青鞜」「奇縁まんだら」など数多くの著書がある著名な作家。得度してからの法話には、全国から大勢の人々が押し寄せるほどの人気者だ。その存在感におじけづいていた中村さんに、寂聴の方から「あなたは何をしたいの」と声を掛けてきた。「何も要求しないのでかえって気になった」と、後に寂聴から聞いた。以来、さまざまなテレビ番組の企画で寂聴を取材することになり、次第にプライベートなことも撮影できる付き合いに進展していく。ついには、寂聴から「死ぬまで(私を)撮りなさい」と言われるまでになり、1年間に1本のペースで寂聴のドキュメンタリー番組を作っていった。そんな2人の関係は、寂聴が死去する年まで続いた。

 1959年に札幌市で生まれた中村さんは中学生のころから映画が好きで、監督に憧れていたという。「でも、職業にはできないだろうな」と思い、82年、早稲田大学教育学部教育学科卒業後、大手生活用品メーカー・ライオン(株)に入社する。決められた店舗を回って洗剤や歯磨きなどを売るルート・セールスを担当していたが、「会いたい人に会えるような仕事に就きたい」と85年に映像制作会社オンザロードに転職。そこで制作したドキュメンタリー番組「先生ひどいやんか!大阪丸刈り狂想曲」を皮切りに、テレビのドキュメンタリー分野のディレクターとしてメキメキ頭角を現していく。00年に同業の会社スローハンドを中心にフリーディレクターとして活動するようになってからはNHKや民放、衛星放送などで数々の作品を手掛けた。入院した寂聴ががんの手術をして見事、復活を遂げる様子を描いたNHKスペシャル「いのち 瀬戸内寂聴 密着500日」では、ATP賞ドキュメンタリー部門最優秀賞(15年)を受賞した。

 中村さんは、「テレビでドキュメンタリーの仕事を始めるようになって、映画監督になる夢は断念した」という。映画は作品の当たり外れのリスクが大きいと感じていたからだ。そんな彼が今作の映画監督を引き受けたのは、NHKスペシャルとは違うアプローチで寂聴を描きたいと思ったから。「先生の面白いところを丸ごと見せるような映画にしたかった」と言う。

寂聴から「ハッパ」
 映画の中での、寂聴と中村さんの会話のシーン。亡くなる前の年越し時、寂庵を訪れた中村さんに「もうそんなに(自分の寿命は)長くないよ」と寂聴。「いや、105歳ぐらいまで生きると思いますよ」と否定する中村さんに、「あんたが一番分かっていない」と不満をもらす。「今思うと(そのときのやり取りは)結構リアルだったんだな」と、中村さんはあらためて感じている。

 昨年6月8日、結果として最後になったインタビューで寂聴から、映画監督として「ちゃんとやりなさい。(私の)死ぬところも撮りなさい」とハッパをかけられた中村さん。「僕が離婚しているので、『早く伴侶を見つけなさい』とも言われていました。親心みたいなものがあったのだと思います」。その後、中村さんが新型コロナウイルスに感染し、会うのを自粛しているうちに寂聴の体調が悪化。帰らぬ人に—。

 今、中村さんの中で寂聴がいなくなった喪失感は大きい。そして、それは今後、社会全体に広がっていくのではないかと予想している。「コロナ禍でのロシアのウクライナ侵攻という事態にあって、今はあまり気付かないかもしれません。でも、自分が人生の岐路にいると思えるようなとき、今回の映画に残る大正、昭和、平成、令和を生きた作家の言葉を思い出してくれたらうれしい」


©2022「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」製作委員会
「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」
 監督:中村裕、出演:瀬戸内寂聴、プロデューサー:松浦敬、阿部毅、成瀬保則、伊豆田知子。95分。日本映画。

 27日(金)から、角川シネマ有楽町(Tel.03・6268・0015)ほかで全国公開。

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