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  東京版 令和3年10月下旬号  
“スイング・ジャズの灯” 次世代につなぐ  「ブルーコーツオーケストラ」リーダー・森寿男さん

“和製グレン・ミラー楽団”として親しまれる「ブルーコーツ」だが、当日はグレン・ミラーの曲だけではなく、デューク・エリントンやカウント・ベイシーの曲などスイング・ジャズの数々の名曲も弾きたいと森さん。「ジャズをメジャーにしたのがグレン・ミラーら白人のジャズ。対してジャズの原点をほうふつとさせるデューク・エリントンら黒人のジャズの精神も追求していきたいのです」。1995年に招かれた本場アメリカの「グレン・ミラー・フェスティバル」では、会場がグレン・ミラー一色の中でカウント・ベイシーの曲「ワン・オクロック・ジャンプ」も演奏。とても盛り上がったとほほ笑む
23日に結成75周年記念コンサート
 “和製グレン・ミラー楽団”—。そう呼ばれかつて一世を風靡(ふうび)したスイング・ジャズ楽団「森寿男&ブルーコーツオーケストラ」。現存する日本のビッグ・バンドの中で最も長い歴史と伝統を誇る同楽団が23日、結成75周年記念コンサートを開催する。第3代リーダーとしてタクトを振り続け、楽団を約半世紀にわたり率いてきた森寿男さん(89)に意気込みを聞いた。「年も年ですし、自分にとって最後のステージかもしれないとの覚悟をもって臨みます。一緒に歩んできたシニアを勇気づけ、次世代“スイング・ジャズの灯”をつなげられるようなステージにしたいですね」

 前身は戦前にさかのぼるが、現バンドの起源は終戦後すぐの1946年。かつて現代音楽家の黛敏郎や歌手・上條恒彦も所属した由緒ある楽団だ。その安定感ある、熟成されたサウンドにしびれるファンは今も多い。オープニングの定番曲、グレン・ミラーの「ムーンライト・セレナーデ」が流れれば、古き良きアメリカの雰囲気が演奏会場に現出。往年のファンはもちろん、スイング・ジャズを知らない若い人たちにも、“心地良い”時間を提供する自信があると森さんは胸を張る。

 当日のステージでは団員17人が楽団名の由来となった青い上着(Blue Coats)に身を包み、1部ではスイング・ジャズの王道を極める“いつもの”「ブルーコーツ」サウンドを披露。2部では、新進気鋭の作曲家やフル・オーケストラなどとコラボレーションし、ジャンルや世代の壁を越えビッグ・バンド・ジャズとして新しい挑戦をするという。「『ブルーコーツ』とフル・オーケストラの総勢80人以上でグレン・ミラー・メドレーなどを演奏します。わが楽団員がアレンジを担当しますが、どんなハーモニーとなるか今から楽しみです」

戦争で家族失う
 森さんは1932年、東京で出生。小学校低学年のとき兵庫県明石市に転居。その地で戦争を迎え、空襲により中学1年で母、妹、弟を失っている。「同じ防空壕(ごう)に避難しましたが、そこに焼夷(しょうい)弾が直撃したのです」

 そして翌年、学校の校庭で演奏していたブラスバンド部の音色に魅了され、即入部。トランペットを手に取った。「家族が亡くなった寂しさを紛らわしたかったのだと思います」

 当時、森さんは医者志望だったが、やがてラジオから流れるスイング・ジャズの音色に夢中になる。「さまざまなビッグ・バンドが競い合っていましたが、『ブルーコーツ』の品の良いサウンドにほれ、同楽団への入団を熱望するようになりました」

 父には反対されたが、説得のために奮起して東京藝術大学音楽学部を受験し合格。父もその執念に免じてか音楽の道を許してくれたという。半年後、「バンドのメンバーが足りない」という先輩についていくと、なんと憧れの「ブルーコーツ」のトランペット奏者として迎えられる。「メンバーを見れば藝大で見た顔がちらほら。不純な動機で入学しましたが、憧れへの一番の近道だったみたいです」

 楽団は全国のステージに呼ばれ忙しい日々を送った。だが、森さんはそんなに憧れていた「ブルーコーツ」を2年で退団してしまう。「決められた楽譜を読むことに物足りなくなり、セッションを重視する小編成のコンボ・バンドに心引かれました」

 さまざまなバンドをめぐり、腕を磨いて4年。当時「ブルーコーツ」のマネジメントを担っていた人物から連絡が入り再入団。その人の強い推しもあり1970年、バンドの3代目リーダーに就任する。

弓道修業で精神鍛錬
 かつて多数のコンボ・バンドでリーダーを務めていた森さんだからこそ白羽の矢をたてられた。「当時“天狗(てんぐ)”になっていたので、何も考えず喜んで引き受けました(笑)」

 37歳だった。しかし、ビッグ・バンドのリーダーは演奏の指揮だけではなく、楽団の運営や資金繰りも背負わなくてはならない。当初は寝ても覚めてもストレスにさいなまれたというが、同じ時期に始めた弓道の鍛錬で精神を修養し、乗り越えたのだと苦笑する。

 しかも当時、スイング・ジャズのブームは退潮を迎え、団員の給料やその家族の生活を守るため金策に奔走。担保に入れていた自宅を手放したことも。だがバンドの解散は頭になかったと話す。「楽団のメンバーや多くの人に助けられたし、歴史ある楽団をむやみに終わらせるわけにはいかないよ」。そしてこう続ける。「自分がいなくなっても、『ブルーコーツ』は永遠に続いてほしいですね」

指導哲学は“自由”
 森さんのリーダーとしての哲学は“自由”。団員らに強制することなく伸び伸び演奏してもらうことが、バンドが一つにまとまる秘けつだと話す。「メンバー全員が選ばれた腕前でかつ、規律を守れる人ばかりですからね。それにジャズは“自由”であるべきです」

 来年には卒寿を迎える森さん。さまざまな基礎疾患に加え、リンパ腫も治療中だが、ステージに立つと若返るという。「自分でも生きているのが不思議なくらいです。やはり、人生に都度目標を持つことが大事なのですね。自分にとって『ブルーコーツ』は人生です」


©Japan Popular Music Association & Koji Ota
♪森寿男&ブルーコーツオーケストラ結成75周年記念コンサート♪
 23日(土)午後4時半、練馬文化センター(西武線練馬駅徒歩1分)大ホール(こぶしホール)で。

 予定曲:「ムーンライト・セレナーデ」、「グレン・ミラー・メドレー」、「岩城直也委嘱作品(世界初演)」ほか。ゲスト:北村英治(クラリネット)、阿川泰子(ボーカル)、寺井尚子(バイオリン)、川島ケイジ(ボーカル)、フィルハーモニック・サミット(管弦楽)、管弦楽指揮:河合尚市、総合司会:露木茂。

 全席指定。S席6500円(当日7000円)、A席5500円(当日6000円)。問い合わせは日本ポピュラー音楽協会 Tel.03・3585・3903

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