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  東京版 令和3年2月上旬号  
タンゴで日本と世界の懸け橋に  タンゴ歌手・小原みなみさん

海外の公演では日本と世界の懸け橋になるべく、タンゴに加え現地の曲、そして日本の歌を日本語で歌うという小原さん。「日本の歌に多くの人が感動してくれます。言語が通じなくても、音楽で人は通じ合えるんですね」。日本の歌の素晴らしさを見直し、現在はスペイン語のタンゴ歌唱と日本の歌の融合に挑戦している。「当日のステージでは、タンゴ調の『川の流れのように』を日本語とスペイン語で歌います」
3月にコンサート、「思い込めて歌う」
 40代での遅咲きのデビューながら、本場アルゼンチンでタンゴの名ピアニスト、ホルヘ・ドラゴーネについてタンゴの魂を学び、「ミナミ・コハラ」として日本よりも世界で名が知られるタンゴ歌手・小原みなみさん(78)。切なく悲しい曲調の多いタンゴだが、小原さんが生来の明るい声音で力強く歌い上げると、その歌声に感動して涙する海外のファンも多いという。3月5日には横浜でコンサートに臨む。「タンゴは情熱でもって愛と哀愁と感動を歌います。人生そのものです。年を重ねてますます人生の重みをタンゴに託して歌えるようになりました。これからもタンゴを歌い続け、日本と世界の懸け橋となりたいですね」

  昨年は「コロナ禍」で多くのコンサートが中止・延期となり、さらに「マエストロ」(巨匠)と呼び尊敬する師ドラゴーネの死去と、悲しい出来事が続いたと小原さん。だが、師から「タンゴのバトンを託された」と顔を上げる。「くしくも今年、私のデビュー35周年記念公演を予定していましたが、時節柄難しいでしょう。その代わりに当日は、歌手人生の節目節目で歌った数々の歌を歌い上げ、現在までの自身の集大成としたいですね」

 小原さんは1942年出生。一級建築士で厳格な父と音楽好きな母のもと、福岡県小倉市(現・北九州市)で青春時代を過ごした。「母の影響で、幼少時からピアノのレッスンを受けていました」

 大学は長崎県の“お嬢さま学校”の音楽科に進学。ピアノと声楽を学び、卒業後はヤマハ音楽教室に講師として就職。5年後には結婚を機に退職し、上京した。子育てをしながら、前職の経験を生かしピアノ教室を自宅で開講。多くの子どもに個人レッスンをつけつつも平凡な主婦として暮らしていたが、長男が中学受験を迎えたとき転機が訪れる。長男が通う進学塾の塾長が趣味でタンゴ楽団を結成。ピアノと歌唱ができるからと突然声を掛けられ、楽団の専属歌手となることに。「タンゴの“タ”の字も知らなかった」という小原さん。成り行きでスペイン語を勉強しながら歌うが、息子から、「ママの歌はただカタカナを読み上げているだけ。遅咲きの歌手なんだから、うまくないとかっこ悪いよ」と批評され、生来の負けず嫌いに火が付いた。

 以来、“本物”のタンゴに触れる機会を探していると、そのチャンスが訪れる。くだんの塾長が、伝説的タンゴ・ピアニスト、オスバルド・プグリエーセが関わるアルゼンチンの施設に日本のグランドピアノを寄付。80年にその返礼として、現地で開かれた同ピアノの弾き初め公演に塾長らと共に招待されたのだ。「超一流の演奏家、歌手らのタンゴに触れ、『絶対この人たちと同じレベルになる』と心に誓いました」

息子らが留学を応援
 帰国後、厳しいレッスンに挑んでいた3年目のある日、生涯の師となるドラゴーネとめぐり会う。来日しクラブで演奏していたが、運よく空いた時間にレッスンをつけてもらえたのだ。するとドラゴーネは小原さんの歌声と情熱に感心。「タンゴへのその思いを本場でぶつけてみないか」と、師の帰国後もアルゼンチンでレッスンの継続をすすめられた。夫は良い顔をしなかったが、大学でピアノ部に属していた長男が留守中のピアノ教室をサポート。料理好きの次男が家事を引き継いでくれた。「息子たちには感謝です」

 日本から地球の裏側のアルゼンチンには当時の飛行機で片道約36時間。単身エコノミークラスで毎年通い続け、1年の約6分の1は現地に“留学”。レッスンを受けたほか、本場の楽団と組んでの公演を果たし、さらにテレビやラジオにも出演させてもらったという。「マエストロは私を、現地でも通じる本物のタンゴ歌手にするべく手を尽くしてくれました」

 89年からは海外への演奏旅行をスタート。2〜4年おきに世界中のステージに立った。「南米では日系の人たちが私を応援してくれました。ペルーでは当時のフジモリ大統領が駆け付けてくれました」

 また、2001年と02年には連続で南米最大級のフォルクローレの祭典「コスキン・フェスティバル」に日本人として初めて招待され、数万人が詰めかけたステージでその歌声を披露した。「02年、打ち掛けを着て歌った姿がゴールデンタイムに南米各国で放映され、各地から『打ち掛け姿でぜひ』と引っ張りだこになりました。夏の暑い時季で大変だったんですけどね(笑)」

手術した病院で公演
 16年、健康診断で肺がんが発覚する。「ステージ1にも満たない初期のがんで助かりました。スパッと切除してもらい、5日で退院しました(笑)」。すると手術をした病院から公演のオファーが。同病院のラウンジで患者や医師らに向けて歌声を披露した。「患者さんたちの喜ぶ顔に感動し、それ以降、医療施設などで歌うようになりました」

 小原さんは現在、スポーツジムに通い、筋トレや水泳に励み体力は万全。手術後は、日本を中心に活動を続けているという。「日本ではいまだタンゴを歌う機会は限られていますが、タンゴはアルゼンチンの演歌みたいなもの。日本の皆さんの魂に必ず届くと信じ、今後も歌い続けます」


チコス・デ・パンパ(左)と小原みなみ
♪ アルゼンチン・タンゴコンサート〜世界のタンゴ
 3月5日(金)午後1時半、神奈川県民ホール(みなとみらい線日本大通り駅徒歩8分)小ホールで。

 予定曲:「エル・チョクロ」「カミニート(小径)」「サパティートス・デ・ラソ(絹の靴)」「カシータ・デ・ナカール(貝殻の家)」「ラ・クンパルシータ」ほか。演奏:チコス・デ・パンパ(バンドネオン・北村聡、バイオリン・永野亜希、ピアノ・宮沢由美、コントラバス・佐藤洋嗣)、歌:小原みなみ、ダンス:エンリケ&カロリーナ。

 全席指定5400円。インターナショナル・カルチャーTel.03・3402・2171

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