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新宿末廣亭の仕事場で筆を手にする橘左近さん。「定年時代」と書いてくれた。「『年』は本来の寄席文字だと『●』で違う書体。『笑点暦』の『年』も、今はあえて読みやすい字にしている」。 |
※ ●=「」 |
噺家の系図も長年調査
寄席の情趣を醸す墨の文字—。橘左近(たちばな・さこん)さん(80)は寄席文字書家の第一人者として長く活躍する。幼いころから落語に熱中。寄席通いを続けるうち、寄席文字の魅力にひき付けられた。「江戸の粋を体現したような文字」。落語家の系図を調べる学究肌としても名が高い。先人の知恵、人情の機微…。「人生は落語から教わった」と言い切り“落語=命”と快活に笑う。戦後の落語を裏方として支えてきた自負もある。「目立たないところでも努力をやめない人間が大好きです」
新宿三丁目の飲食店街。そこに寄席「新宿末廣亭」がある。周囲のビルとは趣の違う木造の建物。落語家の名を墨書した「招き板」がずらりと並ぶ。全て左近さんの手による寄席文字。末廣亭の楽屋2階が50年以上変わらない仕事場だ。「寄席文字生みの親」である橘右近(うこん)の教えを受け、その仕事を引き継いだ空間。三味線や笛の出囃子(でばやし)が聞こえる中、右近が作業用の台に残した墨の痕に目をやる。「今も師匠の声が、出囃子に交じって聞こえてくる気がする」
「落語全集」を暗記
“書き初め”の1月2日、長野県飯田市に生まれた左近さん。呉服店の支配人をしていた父親から、小学校の入学祝いに、「落語全集」を贈られた。「芸事が好きなおやじ自身が欲しかったんだね(笑)」。振り仮名付きだったこともあり、「暗記するほど読み込んだ」と回想する。
高校生の時は夜行列車で片道8時間以上かけて新宿末廣亭へ。新宿駅前に闇市が並ぶ、終戦後間もない時代だった。明治大進学後は五代目古今亭志ん生らの“追っ掛け”をしたが、栄養不足が災いしてか肺結核を発症。2度の手術で肋骨(ろっこつ)7本を失い、故郷でほぼ3年半に及ぶ病床暮らしを強いられた。「空気のきれいな田舎で“余生”を送れといわれた」
回復後、母親らの制止を振り切り再上京。大病後だけに、「噺(はなし)家になろうとは思わなかった。でも、落語には関わっていたかった」と言う。デザイン会社で働くうち、「寄席文字を見よう見まねで書き始めた」。
江戸時代からの「ビラ文字」は、右近によって現代の「寄席文字橘流」として確立された。空き席がないよう、字を升目いっぱいに。客が尻上がりに増えるよう、全体はやや右肩上がり…。「黒々として美しく、どっしり。実に粋な縁起文字だよ」。立川談志の勧めもあり1961(昭和36)年、右近に弟子入りを願い出た。64年、一番弟子として「左近」の名を授かり「芸事に関わる全てを教えていただいた」と話す。
右近から「了見は字に出る」とよく諭された。「感情や考え、行動。師匠の言う『了見』はそうした全てをくるんでいた」。95年、91歳で亡くなった右近を「永遠の目標」と言い表す。「今も一筆一筆、気楽には書けないね」
「名人」らの厚意
そんな左近さんが「もう一つのライフワーク」と明言するのが、古今の落語家の研究だ。職業落語家の誕生は江戸・寛政期(1789〜1801)とされるが、可楽や圓生といった名跡の歴史は不明な点も多かった。国会図書館で昔の新聞などを書き写した上、落語家や寄席の経営者「席亭」の下へ日参した日々。文楽、金馬、圓生、正蔵、今輔…。「昭和の名人」らから質問の返事として受け取った手紙は宝物だ。「高座に居た人間しか知り得ないエピソードもいっぱい」。“名跡100系統”の系図を記した「東都噺家系図」(99年)などの著書もある。噺家のような口調でこう語る。「今も、時には新発見」
「笑点暦」の名物
66年から続くテレビ番組「笑点」(日本テレビ系)のカレンダー「笑点暦(こよみ)」にはただ1人、76年の第1作から携わる。5年に1度の割合で載せる「東西落語家現勢系図」は、特に人気が高い企画。40作目の「平成二十七年 笑点暦」の系図も、左近さんのデータに基づいている。上方を含む現役落語家775人(04年6月現在)を書き込む作業は「神経をすり減らす」。それでも「寄席文字と系図、俺の“両輪”が形になる」と柔和な笑みを絶やさない。
左近さんは肺結核で床に伏した時、「死におびえながらも『また寄席に通う』と念じ続けた」と振り返る。「落語に命を救われたようなもの」。“落語ざんまいの余生”で「女房に迷惑を掛けた」と苦笑する一方、「この道を生涯全うできたら本当に幸せ」とよどみない。有名無名を問わず、長く「プロ意識」を保つ人間に共感と敬意を抱く。「笑点暦も、漫画やイラスト、デザイン、そして事務方、みんなのプロ意識が生む作品です」 |
「平成二十七年 笑点暦」
司会の桂歌丸ら「笑点」メンバーが似顔絵で登場する「笑点暦」。メンバー8人の「わたしの一押し噺」などを載せた「平成二十七年 笑点暦」(1749円)も遊び心いっぱいの内容だ。人気の「大喜利(おおぎり)」も紙上再現。2カ月分で1枚の構成で、表紙を加え計7枚。
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