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定年時代
 
  東京版 平成26年8月上旬号  
平和の思い、ペンに託す  作家・早乙女勝元さん

「あなたは若いんだから謙虚に生きなさい。私は先が短いから言いたいことを言わせてもらう」。早乙女さんは40代の時、作家の住井すゑ(1902〜97)にこう言われた。「僕もこの年になって今、住井さんに重なる思い。後の世代のために『戦争は起こしてはならない』と伝えていくことが僕の役目です」
 戦争の惨禍を繰り返さない—。足立区在住の作家で「東京大空襲・戦災資料センター」(江東区)館長の早乙女勝元さん(82)は下町に根を下ろし、平和・反戦をテーマに筆を執る。「社会的弱者の立場・視点、特に子どもの目線で戦争を見てきた」。12歳の時に東京大空襲を経験。不遇の少年期が書く力の源になった。「平和とは、ごく当たり前で穏やかな日常のこと。その日常が揺らぐ今、戦中戦後を知る高齢者の生き方が問われています」

戦中戦後の記憶を次世代に
 早乙女さんは足立区柳原の長屋に生まれた。荒川の土手を上がると西の空には「お化け煙突」。見る場所と角度によって本数が異なる千住火力発電所の4本煙突(1964年に解体)の眺めがあった。酒飲みで定職のない父は家を空け、母が針仕事で4人の子を食べさせた。貧しさに加え、末っ子の早乙女さんは病弱で、「いわゆる外れくじだった」と回想する。

 周囲は軍国少年ばかり。非力な早乙女さんは軍隊に入ることが怖かった。クラス対抗の“負け抜き相撲”は屈辱の思い出だ。勝つと土俵外で見学に回るため、敗者はいつまでも外に出られない。ボロボロにされ、鬼の形相をした教師に怒鳴られた。「この意気地なし。お前は『勝つ元』でなく『負け元』だ。負け犬根性をたたき出してこい」

 3月10日の大空襲は9歳から移り住んだ向島区寺島町(現墨田区)で経験した。下町地区を目標にした無差別攻撃。一夜にして10万人もの命が奪われたという。この日を含め、100回以上の空襲を受けて市街地の5割を焼失した戦火の東京を、早乙女さんは家族と逃げ延びた。「大勢の人が神隠しにあったようでした。その中で虚弱な自分が生き残らせてもらった。『戦争の声が再び聞こえてきた時、反対の声を上げてくれ』と託された思いです」

「自分史」が転機に
 終戦翌年から町工場で働き始めた早乙女さん。50年、朝鮮戦争を機に筆を執った。「米軍のB29が連日、横田基地などから飛び立っていた。爆撃の下がどうなるかは容易に想像できた。でも日本は食うや食わずの時代。米軍の注文を受けて特需になり、経済成長につながっていった」

 やりきれない思いを原稿用紙300枚の自分史に託した。「戦争と自分」を見つめた第1作は20歳の時に本「下町の故郷」(52)になり、直木賞候補に。その後、働きながら文学を志し、「ハモニカ工場」(56)、「美しい橋」(57)、「秘密」(60)など20代で書いた青春小説は映画化も。「書かずにはいられないような境遇だったから、僕は文章書きになれた。マイナスはプラスに転化できると思う」

 ルポ「東京大空襲」(71)や絵本「猫は生きている」(73)、「戦争と青春」(91)など数々の著作で平和や命の大切さを伝えてきた。「社会的に弱い立場、特に子どもの視点から戦争を捉える」というのが一貫した姿勢だ。70年には「東京空襲を記録する会」を結成。空襲・戦災の文献や物品を集めながら、戦争資料の平和活用を訴えてきた。99年に都の「平和祈念館」建設計画が凍結された後も活動を継続。土地の無償提供や4千人以上の募金を得て02年3月に完成したのが「東京大空襲・戦災資料センター」だ。

 館内には空襲の写真や被災品、体験者の手記など戦争の実相を伝える資料が並ぶ。空襲体験者の話を聞く催しもあり、修学旅行生などの「学びの場」としても活用される。来館者数はのべ13万人に上るというが、民立民営の同センターにとって維持会員(年会費個人:一口2000円)や維持募金が大きな支えだ。「約1450人いる会員も高齢化が進んでいる」と早乙女さんは懸念する。

新たな“非日常”
 「空襲を乗り越えると慢性的な飢餓が襲う。寒さとひもじさの毎日。家庭の団らんはなく一人ぼっち。震えるような孤独でした。背中を丸め、指をくわえているうちに爪をかむようになり、今でもその癖が抜けない」

 早乙女さんの戦争体験は少年期の記憶そのものだ。今も枯葉剤被害に苦しむベトナムなど世界の子どもたちに重ね、日本の将来に思いをはせる。「平和とは、ごく当たり前で穏やかな日常のこと。福島の原発事故や集団的自衛権の憲法解釈問題など日本でも穏やかな日常が崩れ、新たな“非日常”に入ってしまった」。自戒を込めて続ける。「戦争体験者がそれぞれの体験を思想化し、戦後政治に伝達してくれば次世代に残すべき平和がこんなにも不安定にならなかったと思う。戦中戦後を生きてきた高齢者には、犠牲者たちの声なき声を継いで生きるという姿勢が問われている。穏やかな日常を取り戻さなければいけない」

 一方、若い世代に対しては親や祖父母が健在なうちに聞き書きのレポート作りを勧める。「歴史を自分の身に引き付けて、語ったり聞いたりする。学ぶことが第一歩になる」

 1945年8月15日—。一億玉砕を覚悟していた早乙女さんはこの日以降、徐々に平和と“生の実感”を知った。「初めは5日後、灯火管制が解除になった8月20日でした。夜、電球を覆う黒い布を外し家族の顔が見えた時、平和って明るいんだ、まぶしいんだなって」。そして、46年11月3日に公布された日本国憲法。「教師になった兄が教えてくれた。『日本は二度と戦争をしないし、軍隊も持たないんだ。これからは人間同士の信頼と相互理解を世界に先駆けていかないとな』。そんな兄との会話が僕の独学の基本になり、人間形成を支えてきた」

 戦後69年。戦争体験者の生の声を聞く時代は終わりに近づき、追体験の時代を迎える。“戦後の初心”を忘れてはいけない。

施設情報  東京大空襲・戦災資料センター
 所在地は江東区北砂1の5の4。JR秋葉原駅や地下鉄清澄白河駅からバス利用で「北砂1丁目」下車、徒歩2分。もしくは地下鉄住吉駅から徒歩18分。

 開館は水〜日曜日の正午〜午後4時(月・火曜日休館)。入館協力費一般300円、小学生以下無料。Tel.03・5857・5631
http://www.tokyo-sensai.net/
「わが母の歴史」 早乙女勝元著
 94年初版の改訂新版。激動の時代を生き抜いた母おりんの歩みを通して、日本の近現代史を見つめ直す。戦争の愚かしさと平和のありがたさを描いた人生録。 (青風舎・1728円)

 ことし妻の七回忌を迎える早乙女さん。秋の出版に向けて現在、追悼記を執筆している。

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