「手塚治虫先生(1928~89)に出会って人生が決定したようなもの。ものづくりの考え方、思考法を学んだんです」 静岡県沼津市出身。小学校5年の時にディズニー映画「バンビ」を見て以来、杉井さんはアニメーションの道を志した。「滑らかな動きのディズニーのような映画を作りたい」。18歳で東映動画に入社し、日本最初のカラー長編アニメーション映画「白蛇伝」(58年)に参加。21歳の時、手塚が立ち上げた虫プロダクションへ。 憧れの存在だった手塚は偉ぶることのない人だったという。「入社した瞬間から態度も言葉遣いも対等のような扱い。常に同じ戦場で相手をしてくれた」と杉井さん。父のように敬愛する一方、時には異を唱えることもありながら、手塚からの信頼は厚く、「ぎっちゃんがもう一人いてくれたら」という言葉も。