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  東京版 平成23年8月上旬号  
“はだしのゲン” 今も叫ぶ  漫画家/中沢啓治さん

「はだしのゲン」などの作画で助手を務めたのは、中沢さんと同郷の妻・ミサヨさん(68)だけだ。「他の人に任せては(原爆の)本当の恐ろしさは伝わらないと思った。妻に感謝しています」
「漫画で原爆をとっちめてやる」
 「漫画で原爆をとっちめてやる」。1973(昭和48)年、「週刊少年ジャンプ」で連載が始まった「はだしのゲン」は、広島で被爆した漫画家・中沢啓治さん(72)の自伝的作品だ。主人公の少年“中岡元(ゲン)”は、「僕の分身」。脳裏に焼き付いた惨状を「できる限り徹底して、ありのままに描いた」と話す。広島平和記念日の6日(土)から公開される記録映画「はだしのゲンが見たヒロシマ」では、古里の被爆地を歩き、変わることのない思いを語る。「核兵器と戦争は絶対なくさなければ…」

 45年8月6日の朝。当時、国民学校1年生の中沢さんは、広島市中心部にあった学校の塀の脇で、友達の母親に呼び止められた。米軍機が見えた直後、すさまじい光…。一時、意識を失った中沢さんが最初に気付いたのは、その女性の黒焦げになった死体だった。塀が盾の役割を果たしたため、熱線は中沢さんの後頭部をかすめただけですんだという。ケロイド状になったやけどのあとに手をやり、「あと1メートル前にいたら、僕も黒焦げだった」。その後の“叫び”をゲンに託す。

 《どうしてわしのまわりは死体ばかりになるんじゃ》

 戦後、手塚治虫に憧れ漫画家を志した中沢さん。22歳で上京後、程なくしてデビューした。初期の作品は「誰でも楽しめるアクションもの」。東京で被爆者への偏見を実感し、「ずっと被爆したことを隠していた」と明かす。

 しかし、母親が死去した66年から戦争や原爆をテーマにした作品に集中する。原爆症で衰弱し切った母親の体…。火葬した骨を拾おうとしたが、粉々になった骨は形をとどめていなかった。

「子どもに平和の心を」
 「原爆はおふくろの骨まで奪うのか…」。原爆投下時、自宅にいた父親と姉、弟は、母親の目の前で炎にのまれた。同じ日、母親が自力で産んだ妹は4カ月後に亡くなっている。母親の葬儀を済ませ決心した。「言いたいことを漫画にして描きまくってやる」。“原爆第1作”の「黒い雨にうたれて」は被爆した青年のアメリカに対する復讐(ふくしゅう)劇だ。「出版してくれる会社が2年も見つからなかった」

 それでも決心は揺るがず、72年には週刊少年ジャンプに自叙伝の読み切り漫画を載せた。当時の編集長は声を震わせ、「(自叙伝を基に)気の済むまで連載してくれ」と…。こうして誕生した「はだしのゲン」。明るくわんぱくだった自分の体験に脚色を交えたが、「80%は事実のまま。他の20%にも誇張や虚飾はない」と断言する。

 制作の最中、「(被爆後の)独特の臭いまで(脳裏に)よみがえってきて…、苦痛だった」。あまりにも残酷なシーンは「描写を抑えざるを得なかった」と言う半面、「体験した者にしか描けない事があるという意識は強かった」と語る。

 第一次オイルショックの影響でページ数減や休載が続いたこともあり、自ら1年ほどでジャンプの連載を打ち切った。だが3度の中断を挟みながらも、発表する雑誌を変えて描き続けた。「第一部」完結は87年。東京に舞台を移した「第二部」の構想も練ったが、白内障と網膜症のため09年、作品化を断念した。ただ笑顔で「もう一つの理由」を明かす。「ゲンの将来は(読者に)想像してもらった方が、余韻があって良いのでは…」

 記録映画「はだしのゲンが見たヒロシマ」では、インタビューに答える形で被爆の記憶や子ども向け作品にこだわった思いを話している。「文章が苦手な子も漫画なら読んでくれる。戦争反対の気持ちが一人ひとりに根付いていく」。「はだしのゲン」は世界14カ国で翻訳出版され、累計発行部数は1000万部を超すといわれる。現在、目の病気のため細かい線は描きにくいが、「大きい絵なら描ける。ゲンたちを壁画にして広島の海岸に並べたい」。

「空元気でもいい」
 昨年秋、肺がんの手術後、心不全で一時、危篤状態に陥った。自らも原爆症の症状や不安と闘う中、「明るくしていないと(心が)持たなかった」と言うだけに、「これからも笑って歌って、乗り越えていく」と前を向く。ただ、以前から原発反対を明言していたこともあり、福島の原発事故は「全くひとごとではない」。被災者に心を寄せ、「空元気でもいい。『生きるぞ!』と声を上げれば、生きる力が湧いてくる」と頬を少し紅潮させた。

 そんな中沢さんは「はだしのゲン」のテーマは「麦」と言う。

 《ふまれても大地に根をはりまっすぐのび実をつける麦のようになれ》

 戦争反対を叫んだゲンの父、つまり自分の父親の教えに、普遍性があると信じている。


(C)2011 シグロ、トモコーポレーション
「はだしのゲンが見たヒロシマ」 日本映画 
 監督:石田優子、出演:中沢啓治、77分。

 6日(土)〜26日(金)、オーディトリウム渋谷(TEL.03・6809・0538)で公開。午前10時半からのモーニングショー。

 同作品のDVDも発売。3990円。シグロ TEL.03・5343・3101

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