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「自分は落語の広告塔」と三枝さん。「ぼくの創作落語を入り口にして、古典落語の良さも知っていただきたい」 |
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40年間以上、芸能界で活躍する桂三枝さん (64) は、「落語の今」を語る上で欠かせない噺 (はなし) の創造者だ。テレビの経験を生かし「今の生活の中から笑いを生み出そう」と作り続ける「創作落語」は180作を超す。
「60代になって“これが落語なんや”という発見があった。来年は第200作を発表したい」。そして古典落語の名作のように「次の世代に語り継がれる作品を作りたい」と意気込みを語る。
テレビの経験 生かす
古典落語に対し、現在作られる噺は一般に新作落語と呼ばれるが、三枝さんは自らの噺を「創作落語」と言う。「新作というと使い捨ての感じがして …。ぼくは再演、再々演に堪える内容を作らないと」。テレビでおなじみの「いらっしゃーい!」「オヨヨ」といった“ノリ”とは違う「落語家・桂三枝」の自負がにじむ。
関西大在学中、落語と出合った三枝さんが上方落語の桂文枝 (5代目) に弟子入りしたのは1966年。翌67年から「あれよあれよという間にマスコミの仕事が増えた」と振り返る。睡眠時間を削る日々だったが、落語のけいこは休まなかった。複数の定席 (常設の寄席) がある東京と違い、当時の大阪に定席はなく「自分たちで落語会を企画しました」。
ただ、テレビでの話し方と落語での話し方が「離れてきた」と感じた三枝さん。「落語は大衆芸能。誰でも楽しめるのが本来の姿」との思いを強め、テレビでの話し方を高座に取り入れた。
「永遠のテーマ」探す
「庶民の生き方をいきいきと表現するのが落語ならば、今のしゃべり方をしないと落語にならないのではないか」。テレビのトークと落語の伝統を“融合”させた高座では、落語になじみの薄い人からも、落語通からも笑いがわく。
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撮影 : 高橋靖 |
2度の芸術大賞
「時代に即してもっとおもしろく」。30年前、本格的に創作落語を始めた。坂本龍馬や近藤勇が登場する代表作「ゴルフ夜明け前」(82年作) と、4年がかりで自作を発表した「創作落語125撰」(00年〜03年) で、2度の文化庁芸術祭大賞に輝いた。60歳の時、人間国宝の桂米朝から「落語家としてはこれからやな」と言われ「60歳からでもすることがあるんかと、うれしくなりました」。上方落語協会会長として06年、関西では60年ぶりになる落語の定席「天満天神繁昌亭」をオープンさせるなど、近年は落語界での活躍が際立つ。「若い時はまだ甘さがあった」と振り返るほどけいこを重ねる現在、「ようやく本物の落語と出合えた感じがします」と語る。
「今、リストにある作品は183ほど」。内容に満足できず、載せていない噺も少なくない。創作の際、考えるのは「永遠のテーマ」。江戸末期から明治にかけて活躍した“創作落語家”三遊亭円朝を意識する。「怪談牡丹燈籠」などの円朝作を「夫婦愛、おん念や情愛といった時代を超えるテーマがある」と評する三枝さん。「ぼくも年をとって、いろいろなものが見えてきた。今が一番、作品ができている時期」と語る。
お披露目していない作品、執筆中の作品についても話してくれた。例えば「サラリーマンペンギン」という噺。「“ペンギン目線”で勤めの人たちを描いた。『これでいいのか!日本のサラリーマン』。お客さんが笑いの中、自分の生き方を見つめるきっかけになれば」と言う。近ごろは大阪だけでなく東京でも「三枝作」を話す落語家が増え「ぼくの作品も一部は“古典”になりつつあるのかな」と笑顔を見せる。
初演後も内容磨く
いわゆる「飲む、打つ、買う」といった遊びとは無縁。創作のヒントは「新婚さんいらっしゃい!」(テレビ朝日) といったテレビ番組や、朝日新聞夕刊に連載中の「笑ウインドウ」などで得ることが多い。「テレビの仕事を含め今までやってきたこと、すべてを生かせるのが落語」と言う。
創作落語は初演後も10年、20年とかけて内容を練り上げる。「だから高座に上がる時は、いつも身が引き締まります」。そんな三枝さんにとって一番のストレス解消法は「落語のCDを聴くこと」。笑みを浮かべ「(古今亭) 志ん生とかええですなあ」。タレントのイメージが先行しがちだったが今、落語家として“遅咲きの大輪”を開かせる。 |
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