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坂街の素顔語り人の輪広げる 坂の会事務局長/井手のり子さん |
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本の執筆を持ち掛けられたという井手さん。「普通の主婦がこんなことになって、自分でもびっくりしています」 |
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“坂のある街” を歩く「坂の会」事務局長の井手のり子さん (57) = 江戸川区 = は「わたしはもともと普通の主婦」と、にこやかな笑みを見せる。
「街の歴史や文化を語る坂」に引き付けられたのは10年ほど前。2001年、同好の仲間と坂の会を立ち上げ、坂歩きを続ける。"研究仲間" も増え、05年には「坂学会」までつくった井手さん。「坂がわたし自身の世界を広げてくれています」と話す。
「もともと普通の主婦」
07年9月で67回を数える「坂の会」の坂歩き。ガイド役の井手さんは坂の由来や街並みの変化を、エピソードを交え説明する。長男、長女の子育て中は "模範的" な専業主婦だったが、今は「ちょっと不良主婦かな」。夫の治男さん (58) =会社員= は古書好きで博識とあって「情報をくれるわたしのブレーン」と笑顔を見せる。
そんな井手さんの転機は、子育てが一段落した40代後半の時。東京の地図に坂の名を見つけた。
「えっ、こんなにたくさんの名の付いた坂があるの?」妻恋坂、植木坂、幽霊坂 … 。
今も坂学会で一緒の大塚典子さん (54) =豊島区= ら友人と早速坂巡り。坂や街並みに関する生涯学習講座も受講し、修了した人たちと会をつくった。真夏を除きほぼ毎月の坂歩き。下見も含めると、数え切れないほど足を運んだ。
“坂のある街・東京” には、名前のある坂だけでも1000近くあるが、「ほとんど歩いたかな」と言う。 Vシネマ
坂学会HPでは情報共有
単に目的地に行く "点" ではなく、坂から坂へ "面" として街を巡るのが井手さん流。「足裏に起伏を感じながら歩くと、東京の原風景が見えてきます」。例えば都心部に数多い富士見坂。実際に富士山が見える坂は現在ほとんどないが「少し前の世代の方は美しい山容を楽しんでいたのですね。坂の名は貴重な無形文化遺産」と語る。
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坂学会のイベント「暗闇坂と "ミステリー坂巡り" 」でガイド役を務める井手さん = 07年8月、港区 |
PTAの経験生きる
坂の会の会員は40人ほど。カラーの地図と写真入りの会報を、井手さん自身がパソコンで作る。子どもが通った小・中学校でPTA広報誌を編集した経験が生きた。PTA役員を頼まれた時、「断るのは親の責任から逃げるように思えた」という "自称・元PTAママ" 。編集だけでなく、会場予約や研修旅行の手配 … 。「驚くほど今の活動に役立っています」。さらにさかのぼると学生時代、友人との旅行では「わたし "JTB" でした」。時刻表と地図を手に日程を練ったというだけに、作成する資料は綿密だ。
坂を通した人脈も広がり続ける。早稲田大名誉教授の武田勝彦さんは、自分の講義内容をまとめた井手さんの冊子に驚嘆した。切絵図(江戸の区分地図)研究家の俵元昭さん、「東京の坂」の著書がある写真家の中村雅夫さん (故人) らとも親しくなった。それぞれの貴重な資料を目にし「情報を共有し残していく場がほしい」と考えた井手さん。坂の会会長の原征男さん (68) = 愛知みずほ大教授 = らと坂学会を立ち上げ、俵さんや中村さんたちの研究記録や文章、写真をホームページに載せた。
坂学会でも事務局長を任され、「平成『富士見坂』事情」のような研究成果を書く一方、「えっ坂、ほっ坂遊歩録」といったユーモアたっぷりの紀行文もつづる。軟らかい文章のペンネームは「盃 (さかずき) のり子」。酒好きと坂好きの意味を掛けた。坂歩きの後は、みんなで一杯。「坂の会でなく酒の会になってしまう。坂学会も実は堅苦しくない酒学会」と笑顔を絶やさない。
市民講座の講師も
講談社の編集者だった平松南さん (64) =「神楽坂まちの手帖 (てちょう) 」編集長 = らとの縁で、近年は大学公開講座や市民講座で講師も務める。「多くの方との出会いに恵まれ、ここまできました。ボランティアだからこその結果でしょうね」
8月、記者は坂学会のイベント「暗闇坂と "ミステリー坂巡り" 」に参加した。六本木から麻布十番まで約1時間。夜の裏道をすいすい歩き「今の暗闇坂は、けっこう明るいでしょう」と井手さん。参加者の中には団塊の世代も男女を問わず少なくない。「退職後、新しい友人ができました」と笑顔の男性。井手さんも楽しそうに話す。「いくつになっても新しい出会いはうれしいですね」
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