すでに宮本さんの頭の中にはいろいろな構想が浮かんでいる。例えばプロデュース業。ホールの内装や外装、コンサートの内容、休憩、食事、宿泊先、翌朝のスケジュールまで全部プロデュースしたいと目を輝かす。 そうしたコンサートのプロデュースとオーボエの演奏の両立はできない、という。オーボエには、リードを削るなど細かな作業を含めてたくさんの時間とエネルギーを費やされる。「今まではどこに行っても『オーボエ吹いてくれ』と言われた。それはオーボエ奏者としてはうれしいけど、自分がプロデュースしたい演奏会は、オーボエがあまり必要ない、ダイナミックな曲を演奏するものだったりします。やっとオーボエのたがを外せます」 今、人生の節目を自ら作る。これから先も成功すると、自分を信じている。18歳の時、海外留学が今ほど自由にできなかった時代に、宮本さんは単身ドイツに渡った。船とシベリア鉄道を使って、片道切符だけ持って。ドイツにいながら就学ビザや就労ビザ取得に奮闘した。そんな経験が不安に打ち勝つ自信を養ったのかもしれない。 演奏活動を始めた当初は、「オーボエというマイナーな楽器で、今みたいにソロリサイタルを毎年何十回と開けるなんて思っていなかったです」。自分は運がいい、と。「だから、オーボエやめても運がいいんだろうな」と笑う。宮本さんは人生を楽しんでいる。「苦しんでもしょうがないからね。今、力いっぱい演奏会をやっています。会場いっぱいのお客さんが来て、明るく『がんばれ』と言ってもらえるなかで楽器とお別れできる。本当に幸せだなと思います」。宮本さんが"音楽の極み"を表現してくれる日が楽しみだ。