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「日本の山林は都会の空き家問題と同じ構図を抱えている」と宮﨑さん。「きちんと相続されずに所有者が分からない山が増えている」と言う。「伐採しようとしても、山の所有者が分からないため伐採できないケースもある。山の相続問題は今の林業を大きく阻害しています」 |
ドキュメンタリー映画「木樵」、11月公開
映画監督の宮﨑政記さん(71)が、岐阜県高山市に住むきこりの一家らに密着したドキュメンタリー映画「木樵(きこり)」が11月から公開される。きこりをしていた父の後を継がずに映像作家となったことが心残りだった宮﨑さん。あるとき、「きこりたちの記録を残しておきたい」と思い立ち、山で出会った昔ながらのきこりの生きざまを活写した。その仕事ぶりを撮影して分かったのは、「山を放置したまま手入れしないと、山は荒れるということでした」と話す。「伐採した後、植林して育て、また伐採するという山の循環の一翼をきこりたちは担っています」
全体の9割が山林に覆われているという岐阜県飛騨地方。その高山市滝町で約50年間、きこりの仕事で生計を立てている面家(おもや)一男さんとその家族、それに(一男さんの)弟・瀧根(たきね)清司さんや弟子たち。その日常を宮﨑さんは1年にわたって追い掛けた。
きこりのドキュメンタリー映画を撮る準備段階として、知人の木材会社社長に頼んで飛騨の山に入ったのは2017年ごろ。そこで出会ったのが面家さんだった。70代の面家さんを見て、宮﨑さんは「父の幻影を見る思いがした」と言う。「父がけができこりを辞めたのが40代。その30年後の姿はこんなふうだったんだろうな」と思わせた。同時に、「映画の半分近くはできた」とも。「ドキュメンタリー映画を作る上でどんな人と出会えるかが最も大切なこと」と考える宮﨑さん。「面家さんを撮ることで映画になる」と感じた。
近年、林業も機械化が進み、林道を造って機械を山の現場に入れて木を切り出すことが多い。だが、この作業方法だと山を“荒らす”ことにもなるという。面家さんらは昔ながらのやり方で木材を集積場まで運び出す。現場にワイヤロープを引き、それに木をつるして運ぶのである。
「木を切ることは機械化で昔より容易になりました。問題は切った木を集積場まで運ぶ技術です。それを面家さんたちは持っている」。たとえ便利だとしても山を“荒らす”機械化には頼らない—。そんな彼らの姿勢に、宮﨑さんはきこりとしての誇りを見た。
日本の山には、人の手によって苗木の植栽や種まき、挿し木などが行われ、樹木の世代交代がなされている人工林が多い。だが、人の手による循環が途絶えると山は荒れてくるという。「きこりが山を守っていることを知ってほしい」
“負い目”を糧に
宮﨑さんは1951年に岐阜県下呂市で生まれた。幼少時、きこりだった父が山で仕事をするそばで1日中遊んでいたという。「将来は父の後を継ごう」と林業科がある高校に入ったものの、映画を見るのが好きだったこともあって(株)リクルートに入社。同社映画製作部で企業のリクルート用の映像を作ることに—。「そこで映像作品の作り方の基本を学んだんですが、途中から自分がやりたいことと何か違うなと感じた」と話す宮崎さんは同社を退社。映画専門学校で学んだ後、フリーの映像作家となり、これまでテレビのドキュメンタリー番組や同映画を製作してきた。
しかし、心の中では「きこりを継ぐと思っていた父を裏切った」ということがずっと気になっていた。「父は山の仕事を続けたかったんでしょうね。使わない山の道具をいつまでも大事にしていました」。そんな父への負い目も、今回の作品で吹っ切れたと話す。「きこりという一つのテーマを思い続けて、作品にできたことは幸せだと思います」
きこりの稼ぎは木を伐採した量などで決まる。材木以外の新建築材の開発や、低価格の輸入木材が増加した影響で、現在の伐採量は30年前と比べ4分の1程度にしかならないという。「面家さんらも経済的に苦しい時もあったかもしれない」と宮﨑さん。それでも彼らと過ごして感じたのは、「とても豊かな人生を過ごしている」ということだった。「映画を見た人にもそれが伝われば」と宮﨑さんは願っている。 |
©2021「木樵」製作委員会 |
「木樵」
監督・撮影・編集:宮﨑政記、語り:近藤正臣、音楽:日景健貴、横笛:雲龍。81分。日本映画。
11月26日(土)から、シネマ・ジャック&ベティ(Tel.045・243・9800)ほかで公開。 |
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