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  横浜・川崎版 令和3年8月号  
怒りを超えて…「許す心」  米国在住の臨床心理医・美甘章子さん

昨秋、美甘さんは父親の訃報を受けて急きょ帰国したが、コロナ禍による帰国者待機(自主隔離)のため葬儀会場に行けず、「実家で一人、オンライン参列となりました」と話す。米国の感染者は日本よりはるかに多いが、「アメリカの人たちは、日本のワクチン接種の遅れに驚き、そして不思議がる。(日本は)検査数も依然として少ない。対応が『後手後手』になっていて残念です」=撮影:美甘アンドリュー丈示
父の被爆体験、“アメリカ発”で映画に
 被爆のドキュメンタリーをアメリカ発で—。米国在住の被爆2世・美甘章子(みかも・あきこ)さん(59)は、全国公開中の映画「8時15分 ヒロシマ 父から娘へ」を、若い米国人スタッフと共に製作した。核廃絶の思いから、至近距離で被爆した父・進示さんの体験を克明に再現。その上で、「もう一つのテーマを作品に託した」と話す。それは昨秋、94歳で生涯を閉じた進示さんが抱いていた「許す心」。臨床心理医として活躍する美甘さんは、かみ締める。「父は怒りや絶望を超えて『許し』を深める中、自身の癒やしと生き抜く力を得たと思います」

 《許す心というのは…、大変難しいことでしょうね》

 「8時15分 ヒロシマ 父から娘へ」の中で、生前の進示さんは言葉を紡ぐ。右耳(耳介)の大部分は残っていない。1945年8月6日、当時19歳の進示さんは広島の爆心地からわずか1.2キロの自宅屋根で、閃光(せんこう)を目にし、吹き飛ばされた。右半身は焼けただれ、絶え間ない激痛に、何度も「死にたい」と…。

 《諦めちゃいけん!》

 進示さんの父・福一さんは息子に肩を貸しながら助けを求め、炎天下や「黒い雨」の中を歩き続けた。5日後、進示さんは独り治療施設へ。生死の境をさまよいながらも3カ月余り後、自宅があった場所に戻っている。瓦礫(がれき)と灰の中に見つけたのは、福一さんの懐中時計。原爆の高熱は時計の文字盤に、針の影を焼き付けていた。

 「8時15分」。自身のやけどと衰弱を口にしなかった父の「死」を突き付けられた思いで号泣した。幼い頃に母を亡くし、「育ての母」も終戦翌月に病没。やがて、兄の戦死の報を受け取った進示さんの“戦争孤児時代”について、美甘さんはこう語る。「頼れる親戚さえいなかった父は、被爆者の中でも差別された。『どこの馬の骨か分からない』と…」

「悪いのは戦争だ」
 それでも進示さんは広島を去ることなく仕事を探し、同じく被爆者の女性と結ばれている。「アメリカ人を憎むのは間違い。悪いのはアメリカ人ではなく、戦争だ」。進示さんからこう言い聞かされてきた次女の美甘さんは広島大学教育学部を卒業後、高校の英語講師などを経て89年に渡米。米国の大学院で心理学博士号を取得し、米西海岸のサンディエゴで臨床心理のクリニックを開業した。教師志望の学生を教える機会もあり、「そこで『アメリカの若者は(原爆について)驚くほど無知』と痛感した」。かねて、「父の体験をまとまった形に」と考えていたが、本業の傍ら米国とフランスの大学院に通ったこともあり、「実現はまだまだ先と思っていた」と振り返る。しかし、各国の実業家などが学ぶフランスの大学院でスピーチをした際、両親の体験に触れたことが転機となった。「みんな涙を流して『絶対本にすべき。それを私たちが世界中に広める』と…」。進示さんが英語での執筆を望んだこともあり、2013年に米国で出版。14年には「8時15分 ヒロシマで生きぬいて許す心」と題した日本語版を発行した。さらに、イタリア語など4カ国語の翻訳版も。原爆投下を正当化する教育を受けてきた米国の若者からは、「『原爆が戦争終結を早めた』などという単純な話ではないと思い知った」という反響が巻き起こった。

 「戦後75年までに映像作品にもしたい」。私費を投じた美甘さんと心を合わせた映画プロデューサーと監督は、共に30代の米国人だ。進示さんのインタビュー映像撮影は、米国人男性と結婚した美甘さんの息子。自身の孫が手にするカメラに向かい、「許すことの難しさ」を口にした進示さんは、淡々と言葉を継いでいる。

 《だけど、それを成し遂げたら、まあ…、みんなが平和になりますよね》

 怒り、絶望から共感と許しへ—。美甘さんは、それを「心の中の旅路」と言い表す。「怒りにとらわれていたら、(人間としての)成長と癒やしはない。父は核兵器を“絶対悪”と強く認識しながらも当時のアメリカ人の見地に立ち、彼らを理解しようとする『共感』へ向かったのです」。映画では、国連本部に永久貸与された「形見の懐中時計」をめぐる事件についても描かれている。「父は戦後も曲折を経て、『深い許しの境地』に至りました」

 映画は昨夏までに完成し、広島市で先行上映。体調を崩していた進示さんは全編を見ることはできなかったものの、「諦めちゃいけん」と叫ぶ福一さんの再現映像に涙を流したという。10月のナッシュビル国際映画祭では、オンラインながら全米公開。進示さんが静かに息を引き取った後、観客賞受賞の知らせが舞い込んだ。「葬儀の30分前でした」。目を潤ませながら、こう続けた。「父は魂のレベルで、それを見届けてくれたように思えます」

「ハリウッド映画に」
 自著発行後、世界各地で講演をしてきた美甘さんは、新型コロナウイルス感染症収束後の活動を思い描く。「この映画を世界中で上映していきたい」。美甘さんの働き掛けを受けたハリウッドの製作会社は、既に劇映画用の脚本を仕上げている。「監督と投資会社が決まれば、『ハリウッド映画』も実現するのでは…」。被爆体験を語り継いだ経験と心理学の知見を重ね合わせ、こう指摘する。「話が『つらい』、『苦しい』だけでは、人の心には残りにくい」。戦後、立ち上げた会社を軌道に乗せた父親の穏和な笑顔を思い返し、言葉を紡ぐ。「多くの人が聞きたいと思うのは『それでもはい上がった』、『そして何かを築いた』といった、心に希望をともす話。それは、世界中の人々が共有できる、平和へのメッセージにもなり得ると信じています」


©815 Documentary, LLC
「8時15分 ヒロシマ 父から娘へ」
 原作:美甘章子「8時15分 ヒロシマで生きぬいて許す心」(講談社エディトリアル)、監督:J.R.ヘッフェルフィンガー、エグゼクティブ・プロデューサー:美甘章子、プロデューサー:ニニ・レ・フュイン、出演:美甘進示、美甘章子ほか。51分。アメリカ映画。

 横浜シネマリン(Tel.045・341・3180)ほかで公開中。

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