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小田原城天守閣の再建目指す 小田原市のNPO「みんなでお城をつくる会」理事長・鈴木博晶さん |
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「ねばり強く諦めずにやらないといけない」と話す鈴木理事長 |
木造化で技術を再興
小田原のシンボル・小田原城の天守を、木造再建しようという動きが盛り上がっている。城はことしの夏から耐震工事に入るが、これは天守を延命するため。さまざまな準備を経て、2023年の木造再建工事竣工(しゅんこう)を目指している。これらの活動の運営や管理を担うNPO「みんなでお城をつくる会」(2013年結成)の理事長で、鈴廣かまぼこの鈴木博晶代表取締役(61)は「単に木造化すればいいというものではなく、江戸文化の導火線の一つであった小田原職人の技術を再興し、街を元気にしたい」と話す。
450年の歴史を誇る小田原城。1870(明治3)年に廃城するも、1960(昭和35)年に鉄筋コンクリートで復元された。その際、市民によって「天守閣復興瓦一枚運動」が進められたことは、今も語り継がれている。
慶応元年から続く老舗かまぼこ店の子息として小田原に生まれ育った鈴木理事長にとって、小田原城は昔から特別な存在だ。
「お堀にボートが浮かんでいて、みんなが楽しそうに通りを行き交う姿は、今でも懐かしい風景です」と目を細める。
それにしてもなぜ今木造化なのか。それは、「江戸から続く小田原の文化や産業を再び盛り上げたい」という思いが根底にあるからだ。天守の木造再建が実現すれば海外からの観光客の増加はもちろん、地元の産業や伝統技術の発展も望める。
「つくる会」の岩越松男事務局長は、「伝統技術の中にこそ、未来の技術が隠されている。木造再建が実現することで、日本独自の伝統技術に世界中から注目が集まるのでは」と話す。
天守木造化の夢は「だいぶ以前から地元の仲間との間で出ていました」と鈴木理事長。しかしなかなか動きが見られず、「それなら僕らが悪だくみするか、と集まりだしたのがそもそもの始まり」と笑う。夜な夜な酒も飲まずにああでもない、こうでもない、と木造再建への策を練った。“悪だくみ”の参加者は「魚國商店」や「和菓子菜の花」など、地元の企業人10数人。これが母体となり、「つくる会」へと発展した。
7月から耐震工事が始まる小田原城天守 |
現在、「つくる会」は個人約100人、鈴廣ら地元企業21社や建築家、学者など専門家で構成されている。皆、地元への熱い思いのある人々だ。
中世、城は為政者の権威の象徴であった。そして現在の天守は、戦後復興のシンボルとして一つの時代の役目を終えたといえる。
「今度は地域の平和と郷土愛の象徴にしたい。木造化は平和だからこそできることだから」
しかし、天守木造の実現には、いくつかのハードルがある。
一つ目のハードルは、文化庁。小田原城は国指定史跡であるため、史実に忠実な城を再建できるという保証がないと、再建の許可は出ない。
その他にも、使用する木材の調達、伝統技法で城の木造再建を担う職人の育成、また当然、資金の問題がある。
幸いなことに、小田原城には模型や図面が多く残っており、史実に忠実な再建は実現の可能性が高いと期待されている。
「史実に忠実な再建の実現がクリアできれば、『再建も可能みたいだね』『あとはお金と努力次第だね』となる。われわれとしては、早くその段階に持っていけるべく、今、尽力しています」
また今年度中に、小田原市に「木造化検討検証委員会」を立ち上げることを依頼しており、これが実現すれば、一つの大きな弾みとなる。「つくる会」としては最終的には天守を中心とした外郭線である総構(そうがまえ)も整えたいと希望している。
「でもそれは僕らが棺桶(おけ)に入った後に実現するんでしょうね」と豪快に笑う鈴木理事長。
「われわれが形に残せるのはせいぜい木造の城だけですが、構想や思いはしっかり残しておくので、その次の世代がやってくれたらいいと思っています」と、未来にバトンを託す。
奇しくも、ことし鈴廣は創業150年という節目を迎える。
「お城も企業も、次の50年、100年後のために今何ができるのか、少しでも世の中のためになるようにあり続けるには何をすべきなのかをしっかり考え、行動する。これに尽きると思っています」 |
NPOみんなでお城をつくる会
「つくる会」では会員を募集中だ。歴史探訪ツアーなどのイベントも随時開催している。また寄付も募っている。
問い合わせは事務局 Tel.0465・46・8944
HPは「みんなでお城をつくる会」で検索。ツイッターやフェイスブックも。 www.odawara-oshiro.com |
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