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“楽聖”ベートーベンの人生を弾く ピアニスト・中村紘子さん |
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「昔、アメリカで着物を着て『皇帝』を弾いたことがあります(笑)」と思い出話をする中村さん |
7月、みなとみらいで「ピアノ協奏曲」全5曲を演奏
7月19日(土)、みなとみらいホールでは、デビュー55周年を迎えるピアニスト中村紘子さん(69)の特別公演「華麗なるコンチェルト〜ベートーヴェン協奏曲全曲」が開催される。ベートーベンのピアノ協奏曲全5曲を1日で全て堪能できる機会はめったにない。「この協奏曲を通して聴くと、“楽聖”と呼ばれたベートーベンの成長と人生の変化が非常によく分かります」と中村さん。「ひとつひとつに野心的な試みがあり、一曲ずつ違うんです。わたしも弾きながらみなさまと一緒に楽しみたい」と話す。
ベートーベンには「交響曲第5番」(通称・運命)や「交響曲第9番」(通称・第九)など、奇数番号の曲に人気が集中するというジンクスがある。
このピアノ協奏曲においても3番と5番が有名だが、中村さんは 「事実上、最初に作曲された2番はちょっと地味で他の曲に埋もれがちですが、すごくチャーミングな曲なんですよ。4番も素晴らしい曲です」と話す。
ベートーベンはピアノ協奏曲5曲を25歳から39歳にかけて書いた。作曲家として成功することを夢見て大都会ウィーンに出てきたのが22歳の時。着実に実績を積み重ね、25歳で演奏会デビュー。その時に披露したのがピアノ協奏曲第2番だ。第1番も同時期に書いたとされている。その後33歳で第3番を、36歳で第4番を書いた。しかしこの頃、ベートーベンの難聴はすでに決定的になっていた。
この時期、ベートーベンは夫を亡くした伯爵夫人と恋愛関係にあった。加えて、ヨーロッパ全体をナポレオンによる暗い影が覆いつつあった。さまざまな背景を持って生まれた4番は「大変にデリケートでロマンチック」と中村さん。
「4番は本当に素晴らしい曲です。特に2楽章。この楽章のピアノの独奏はとっても小さい音で、ピアニッシモなんです。そしてオーケストラはフォルテでピアノを威嚇するの。でもその頼りなげで悲しいピアニッシモのピアノが、オーケストラをリードしていくんです。彼は耳がまったく聞こえなかったのに、魂の中では聞こえていたのですね」
着物で「皇帝」を演奏
4番に続くのが、名曲中の名曲といわれる第5番、通称〈皇帝〉だ。
「5番には、明快で、ぱっと竹を割ったようなさわやかさと大らかさがあります。堂々ときちっと弾けば、曲が感動を呼んでくれる立派な曲」と中村さんも賛辞を惜しまない。これまでに何度となく演奏してきた曲だ。
「ずいぶん前に、アメリカのテキサスで着物を着て『皇帝』を弾いたことがあります。でも草履を持って行くのを忘れちゃって、足袋はだしで弾いたの(笑)」という思い出話もある。
この5番だが、驚いたことにベートーベンの手紙によると、「非常に切羽つまった悲惨な生活」の中でアイデアを暖め、書いたという。当時ウィーンはナポレオン率いるフランス軍に占領されていた。食糧不足で暴動が起こり、頼りになる貴族はウィーンにいない。ベートーベンを取り巻く環境は最悪だった。しかし彼はめげなかった。さまざまな体験を経て精神的な強さを得た作曲家は、社会状況に相反した、力強く、美しいメロディーを五線譜の上に生み出すことに成功したのだ。
5時間演奏“大丈夫”
7月、中村さんは、この1番から5番を1日で演奏する。途中休憩が入るとはいえ、全部で約5時間と長丁場だ。しかし本人は「いつもそれぐらい練習していますから、大丈夫」と気負いがない。
「皆さんは休憩時間においしいおつまみとお酒でも楽しんで、いい気分で聴いていらして」とジョークも。協演は付き合いが長く、信頼を寄せる東京交響楽団だ。
先日、中村さんは偶然にもベートーベンの生まれ故郷であるドイツ・ボンで演奏する機会があった。
「ドイツのお客さまは非常に高齢化が進んでいました。それに比べて日本のお客さまはまだまだ若いわね」と笑顔。
「皆さまと一緒に、ベートーベンの人生を振り返るような時間を過ごせることをとても楽しみにしています」
※参考文献「ベートーヴェンの生涯」(青木やよひ・平凡社) |
©Hiroshi Takaoka |
中村紘子 華麗なるコンチェルト
べートーヴェン協奏曲全曲 with 東京交響楽団
7月19日(土)午後2時、横浜みなとみらいホール(みなとみらい線みなとみらい駅徒歩3分)で。
合い間に10分、20分、50分、20分の休憩あり。終了時間は午後6時40分予定。
S席1万円、A席8000円。問い合わせ・予約は神奈川芸術協会 Tel.045・453・5080 |
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