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チャッキラコの音色よ、いつまでも 三浦市三崎に残る希少民俗行事 |
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チャッキラコは毎年1月15日に海南神社などに奉納される |
15日に海南神社で開催
三浦市三崎に残る小正月の民俗行事「チャッキラコ」(国指定重要無形民俗文化財)が、ことしも15日(火)に開催される。当日は晴れ着姿の少女約20人が女性の音頭取りによる歌に合わせて踊り、海南神社などで奉納する。チャッキラコの歴史は古く、江戸時代中期の文献にも記録が残っているという。漁師町に300年近く残る素朴な祭りは一時期開催が危ぶまれた時期があったが、さまざまな人々の支えで今日まで続き、4年前の秋にはユネスコの無形文化遺産に登録された。
その昔は、三浦市の花暮(はなぐれ)と仲崎地区の漁師の娘しか奉納できなかったチャッキラコ。大漁祈願、海洋安全、来る年の豊穣を祈る。
現在も同市内に住む芹沢康子さん(64)は、「祖母の代から母、私、娘と4代続けて踊っています。チャッキラコに出ることは自然に受け継いでいくもので、特に意識もしていませんでした」。
同市内在住の吉永明美さん(64)は、「うちも漁師でしたけれど、地区が違うのでわたしは踊れなかったんです。女の子の参加する奉納はほかにはないから残念でした」。
同じく市内在住の青木フミ子さん(79)は、「祖母が奉納の当日、お膳を作ったりして手伝いに行っていました。保存会ができる以前は、町内のおばあさん達で守っているお正月の伝統でした」と振り返る。
名称の由来は踊り子が持つ鈴を付けたあや竹。少女達はこれと扇を持って海南神社などで踊り、その後商店や家々を回る。「○●家では先代の好きなあの歌を歌う、あちらは不幸があったからことしは行かないなど、臨機応変にやっていました。それが普通でした」(芹沢さん)
チャッキラコ |
一時は存続危機も、ユネスコ登録へ
チャッキラコの始まりには諸説があり定かではない。江戸時代中期にすでに行われていたことは確かなようだ。しかし戦後、子ども達が祝儀をもらうことに反対する声が挙がり、存続が危ぶまれた。そこで1964年に保存会が作られ、現在に至るまでサポートを続けている。
そのかいあって、2009年にはユネスコ無形文化遺産に登録。現在国内では21件が同リストに登録されているが、関東では日立風流物、結城紬とチャッキラコのみだ。
保存会の高木巌会長、二ノ宮仁副会長、林靖範顧問は、「ユネスコの登録は本当に喜ばしいことで、決定した時はみんなで祝杯をあげました。でも、年に一度の奉納だからまだまだ知らない人が多いのが現実です。市内の人ほど、身近過ぎて見にいらっしゃらないのが残念。これからも存続のために力を尽くさないといけませんね」と声をそろえる。
音頭取り確保に苦労
踊り子は10人〜20人。現在は三浦市在住の女子児童なら誰でも参加できる。練習期間はなんとわずか1週間。「毎年出ている子もいるし、だいたいできます」と芹沢さんは涼しい顔。踊り子よりも歌い手である音頭取りを確保する方が大変で、「かつて踊ってくれた人達を口説き落とします。経験のある人は、すぐに歌えるようになります」(芹沢さん)。
見学は海南神社で
15日には、午前10時から本宮で踊りを奉納した後、海南神社本殿前で10時半から30分奉納し、その後、11時から本殿階段参道で20分ほど奉納する。そして午後いっぱいかけて地区の竜神、竜宮への奉納と家々を回り、終了となる。
参観は自由で、午前10時までに海南神社に集合する。アクセスは、京急三崎口駅の2番線バス乗り場から城ケ島行き、通り矢行き、三崎港行きなどのバスに乗り「三崎港」で下車徒歩3分。海沿いで風が強いため、防寒は必須。
問い合わせは三浦市教育委員会生涯学習課 TEL.046・882・1111 |
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