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現在は北海道に住んでいる新井さん。鴨長明と同じく、山暮らしを営んでいる |
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず—。誰もが知っているこのフレーズで始まる鴨長明作「方丈記」。これを、歌「千の風になって」の作者で知られる芥川賞作家・新井満(まん)さん(66)が“自由訳”し、出版した。「鴨長明は50歳を過ぎて山に入り、最期まで自由に好きなように生きました。しかし、気弱で自問自答する一面も。その実態は悩める現代人と変わりがないと思います」と話す。
震災後にわかに注目
東日本大震災後、方丈記はにわかに注目を集めた。が、新井さんが方丈記の全文を初めて読んだのは新潟地震で被災した時だと言う。高校三年生だった。新潟地震のすぐ後に東京オリンピックが開催されたが、「お祭り騒ぎには乗れなかった」という当時の新井さんのやり切れない気持ちに、方丈記はぴたりと当てはまったのだ。
月日は流れ、広告代理店を定年退職して北海道に居を移した新井さんのもとに、知り合いの編集者から方丈記の現代語訳の依頼が届く。
「方丈記は災害について書いた前半部分が有名ですが、長明が本当に書きたかったのは後半部分の晩年の人生論のくだりです。この部分を定年を迎えて自由人となったわたしに分かりやすく伝えてほしい、と編集者に言われ、引き受けました」
まさかその後に東日本大震災が起こるとは、想像すらしていなかった。
自由訳 方丈記 新井満
(デコ・1470円) |
“長明の悩みは現代人と同じ”
そもそも、鴨長明はどんな人物なのか? 新井さんいわく、鴨長明は「悩める現代人」であり、「ロックンローラー」でもあるという。
「彼は当時としては珍しい舶来楽器の琴や琵琶の名手でした。時代の先端をひた走るミュージシャンといったところでしょうか。晩年、山の中に家を持ったのも、思う存分音を出したかったからでは」と推測する。
神職の家に生まれつつも、出世できず、50歳で出家し、54歳で洛南・日野の山中に「方丈」の庵を建てて、62歳で死ぬまでそこで暮らした鴨長明。山中独居の暮らしの中で彼の頭に浮かぶのは、これまでの人生で見てきた天災、人災の数々、そして自由とは何かということだった。
「長明は山中独居を勧めていたにも関わらず、方丈記の最後で突然、自信を喪失して気弱になるのです。こんな暮らしをして本当にいいのだろうか、と自問自答します。自由に憧れつつ悩む姿は、現代人と変わらないですね」
鴨長明が悩んだあげくに出した結論は、「自分は救われたいのではない、ただ好きなように生きたい、好きなように死にたいだけだ」というものだと新井さんは解釈している。「この部分こそ、方丈記が今様文学になりえるゆえんだと思います。最後までかっこいいですね」
現在、新井さんは北海道に移住し、ヤギや豚などを飼いながら山小屋暮らしを営んでいる。「千の風になって」を作曲したのも同地だという。「どちらかというと都会の方が好き」だというが、山暮らしの中でこそ見えてくるものがあるのだろう。今回、鴨長明の老いの心境を余すところなく書きつくせたのも、街を離れたからかもしれない。
偶然にもことしは方丈記が書かれて800年という節目に当たる。同書には方丈記の原文も付いているので、訳と照らし合わせながら、自分なりの「自由訳」に挑戦してみるのもお勧めだ。 |
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