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「老人クラブ、カーネギーで歌う」 多摩区/稲田朗生クラブ |
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カーネギーホールで熱唱するコーラスメンバー |
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小島修さん |
「千の風になって」…ニューヨークで起こした奇跡
日本の老人クラブがカーネギーホール(ニューヨーク)で「千の風になって」を歌い、拍手喝さいを浴びる—。2008年にそんな奇跡を起こしたのは、多摩区「稲田朗生クラブ」。同クラブ会長・小島(おじま)修さん(74)はこのほど、そのてん末をまとめた著書「老人クラブ、カーネギーで歌う」(岩波書店)を上梓した。「カーネギーでは現地のお客様とひとつになり、背中がひやっとするような感動を味わいました。高齢者には海外旅行は大きな壁ですが、うまくいってほっとしています」と喜ぶ。「このような時代に、高齢者こそが“有縁社会”を造らなければ。そして新しいことを思い切ってやってみましょう!」と鼓舞する。
小島さんがコーラスの母体となった老人クラブ「稲田朗生クラブ」の会長に就任したのは7年前、67歳の時。「引き受けた以上、自分がやれることを」と考えてコーラスを始める。
小島さんは、高校、大学とコーラスに熱中し、新聞社を定年退職後、地元・川崎の「登戸混声合唱団」に入団した。そこで、同合唱団が小島さんの入団2年前にカーネギーホールで演奏していたと聞いて驚く。よく話を聞いてみるとそれはある旅行会社の企画旅行で、他にコーラスや舞踊、太鼓など全部で26の団体と合同で出演したのだという。アマチュアであっても出演料を払えばカーネギーホールに出演できるのだ。
(1890円・岩波書店) |
「その数年後、インターネットで検索していたら、ある津軽三味線のグループが08年にカーネギーで演奏するので一緒に出演する団体を募集していたのを偶然発見したんです。すぐにこのチャンスに飛び付きました」
小島さんのモットーは、「チャンスの神様の前髪をつかめ」「断られてからが勝負」。「私自身の前髪はとっくに消滅していますが」とユーモア精神を発揮しながら驚異的な行動力と粘り強さでもって、その後、いくつもの壁や難題を乗り越え、ついにアメリカの地を踏むこととなった。著書にはそのてん末が面白く書かれている。参加メンバーの中には、がんと闘病中で余命1年半と宣告されていた人や、85歳の女性、車いすの人もいた。
カーネギーホールの定員は2800人。1階の席数は約1000で、1階をほぼ満席にすることが暗黙の了解となっている。そのため、つてをたどってニューヨークの日本人合唱団「ニューヨーク メンズ アンド レディス クワイア」に賛助出演してもらい、チケットをさばいてもらった。彼らの人脈の広さや「日米音楽親善演奏会」と銘打ったのも功を奏したのか、結果的に2000人もの客がカーネギーホールにつめかけた。
高齢者こそ“有縁社会”を!
コンサートは「川の流れのように」から始まり、「ドレミの歌」、アメリカの代表曲ともいえる「ケンタッキーの我が家」、川崎の民謡「多摩川音頭」、そして「千の風になって」「故郷」で終わる。
「千の風になって」の原詩は英語である。9・11の追悼行事で父親を亡くした少女がこの詩を朗読したことで知られ、カーネギーホールでの合唱にはぴったりだった。すべて日本語で歌ったが、日本語の分からない人には「平和を願う歌に聞こえた」、と好評だった。また、「ドレミの歌」では、演出が光った。
「ドレミの歌の時、わたしは指揮をしていたんですが、途中からくるっと客席を向いて指揮したんです。そうしたら客席がわっと沸いて一緒に歌ってくれて。忘れられない感動と一体感を味わいました」と、未だ興奮冷めやらぬ様子で振り返る小島さん。
老人クラブの合唱隊といえ、小島さんの丁寧な指導のおかげで実力は折り紙付きだった。また、途中からプロの声楽家とピアニストが加入したことで一気にレベルは高まり、カーネギーホール公演でも恥ずかしくない状態を保つことができた。この2人とは、下田さんが以前入団していた劇団で知り合ったという。小島さんは何事にも積極的で行動的なのだ。
「人と人との出会いをどんどん広げていくと、後で別の何かをやろうとする時にどれだけ助けになるか分からないものですね。高齢者こそ、“有縁社会”を造っていかなくては」と小島さん。「個人で楽しむのもいいのですけれど、社会的なつながりを持つことも大事です」と付け加える。
始まりは町内パトロール
そもそも、コーラスの母体となった老人クラブは地元の子どもの通学を見守るボランティア活動を通じて、強い連帯感で結ばれていた。この活動の効果は高く、子どもの交通事故や変質者による被害をゼロにしている。
「老人クラブというとあまり魅力的に聞こえません。わたしも入会した時はまだ早いのでは、というのが本音でした。ですが、こういったボランティア活動を通じて顔見知りが増えたり、生きがいを持った方は多いはず。実際、わたしたちもカーネギーに行くことができましたし。前向きに生きて、新しい世界を切り開いていきましょう!」 |
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