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「子どものころから登っていたから今でも全然平気よ」。するすると禅寺丸柿の木に登る森さん |
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県初の国登録記念物に
かつて川崎の名産として愛されていた禅寺丸柿。しかし土地開発とともに数が激変し、また新種の柿に押されて今では市場にほとんど現われなくなってしまった。そこで地元・川崎市麻生区の小田急線柿生駅付近の住民は12年前に「柿生禅寺丸柿保存会」を設立。苗木の提供、植樹、ワイン作りなどの活動を続けてきた。その活動が認められ、ことし7月には国登録記念物に登録。同会会長の森章さん (70) は、「秋の柿の木がある風景はなんとも言えずにいいもの。もっと数を増やして昔のような景色になったら」と夢を話す。
植樹、ワインの生産も
鎌倉時代の1214年に川崎市麻生区の王禅寺で発見された禅寺丸柿。それまで渋柿しかなかった日本に初めての甘柿として名が知られ、江戸時代には「江戸っ子の水菓子」として名をはせた。1909 (明治42) 年には明治天皇に献上された。大正から戦後にかけて生産のピークを迎えたが、1960 (昭和35) 年ごろから百合ケ丘の土地開発による伐採や、新種の柿の登場などから今ではほとんど市場に姿を現さない。
農家を営んでいた森家でも、父親の代までは禅寺丸柿を生産していた。「秋になると父たちがトラックで横浜に卸しに行って、帰りにサンマを買ってきたことをよく覚えているよ」と森さんは懐かしむ。禅寺丸柿の木は「どこにでもいくらでもあった」のだ。
柿のある秋の夕暮れを夢みて
地元有志が集い保存会を発足したのは95年。発足後は600本の苗木の無料配布や、麻生区民祭での出店、禅寺丸柿を広く知ってもらうために柿ワインの生産などを行ってきた。区民祭で頒布された苗木を自宅で育てている地元住民がその後新たに「柿愛好者の会」を設立させるなど、活動は広まっている。
「学校や区役所、神社に植えたり、禅寺丸柿がない川崎南部の大島八幡神社に持っていって植えたこともある。公の場に少しでも禅寺丸柿の木が増えるとうれしいね」
植木業を生業としている森さんは、木への思いも格別だ。「葉が落ちた枝に柿が実っている秋の夕暮れの風景は、そりゃあなんとも言えないよ。昔と同じような景色になったらいいなと思っているんだけどね」と夢を語る。
柿ワインは、「味のいい禅寺丸柿で作ってみたらおいしいのでは」という発想から生まれた商品だ。毎年、川崎市長へも贈られている。川崎らしい土産としてテレビなどのメディアでもよく取り上げられた。1月ごろ、市内の酒店で発売される。
保存会の努力のかいあって、ことし7月に禅寺丸柿は国登録記念物に登録された。国登録記念物は2004年の法改正によって新たに設けられた制度で、天然記念物や名勝の補完的性格を持つもの。「天然記念物ほどの重要度はないけれど、保護の必要性があるものだと国が認めたということだから」と森さんも登録を喜ぶ。植物の登録は全国で2番目となり、県内・川崎市内では初だ。
現在、柿生に残る禅寺丸柿は2700本。保存会の発足当初調べた数と大差はなく、減少は食い止めている。「最近では小学校で禅寺丸柿について話すこともあるよ。この活動が若い人たちに継いでもらえるとうれしい」と森さん。帰り際、「持っていきなよ」ともいでくれた禅寺丸柿は懐かしい甘味がした。 |
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