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横浜ほたるの会
保全活動取り組んで30年
横浜に再びホタルの光を─。横浜ほたるの会会長・丸茂高さん (67) は30余年にわたってホタルの保全活動に力を注いでいる。「ホタルは日本人の心にフィットする」と心酔しているが、長年の活動力の源は子どもたちへの情操教育という使命感とホスピタリティー。「人のために役立つことが自分の存在感を満足させてくれると思います」と語る姿勢に誠実な人柄が光る。
横浜市内で中学校の理科の教師をしていた丸茂さんが20代後半のころ、勤め先の戸塚区大正中学校に一人の老人が訪ねてきた。
「小野道弘さんとおっしゃる方で、彼は学校をあげてホタルの育成に取り組んでほしい、と頼みに来られたのです。ここら辺は、昔はホタルがたくさんいたのに戦後にヘリコプターで農薬をまいたりしましたので今ではほとんど見られない。小野さんはそれを大変嘆かれていました」
校長から指名を受けた丸茂さんは小野さんからホタル飼育のノウハウを学び、生徒とともにそれらしい活動を始めた。
ところがしばらくして小野さんは体調を崩し入院する。入院先からどうしても丸茂さんに会いたいと伝えてきた。実は同じころ丸茂さんも病身だったが、出向くことにした。
「一目見て小野さんはもう長くないことが分かりました。注射針を抜いたら血が止まらないのです。『ホタルを頼むよ、ホタルを頼むよ』とわたしの手を握りしめて、その3日後に亡くなりました」。それを機に丸茂さんは全力で取り組む決意をした。「徹底的にホタルを追いかけ始めたのです」
ホタルの育成で一番大変なのは、朝と夜の水の入れ替え。水質に非常に左右される生き物で、少しでも水が濁ると死んでしまう。朝晩、幼虫が食べ残したかすをきれいに取り除き、体長わずか1ミリの彼らを1匹1匹回収する。1回の水替えで2時間はかかる。素人はここでくじけやすく、最初は意気込んでも地道な作業は続けられない人も多い。
そのほか、丸茂さんはホタルの生息調査のために毎晩仕事の後に市内を飛び回っていた時代もあったと振り返る。指導を頼まれれば一から丁寧に教え、時間をおいてのフォローも忘れない。「最初は回りも何やってるんだって変人扱いでしたけど、30年たってようやく広がりが出てきたように思います」
6、7月は、1年の苦労が報われる時期である。大事に飼育したホタルを屋外に放す時の感動は格別である。人を連れて野生のホタルを見にも行く。横浜では 7月上旬まではヘイケボタルを見ることができるとか。ホタルが飛んでいるのを同行者が感激しながら見てくれる姿を見るときが一番うれしい。「この年になると、人を満足させることが自分を満足させることにつながるんだと実感しますね」と顔を輝かせる。
ホタルの語源は、「星垂る」から来ているという説がある。闇の中を小さな光がすいっと飛び交う様子は、まさに星が落ちてきたよう。「ホタルは日本人の心にフィットする生き物だと思う」としみじみ語る丸茂さん。市内に点在するホタルの生息地はこの15年近くでだいぶ消滅したが、ここ最近、市も自然保全に向けて力を注ぎ始めた。ホタルの保全はボランティアの力だけでは無理だが、丸茂さんの熱心な活動に行政も協力姿勢を見せてくれている。
「小野さんが子どものころ、夏の夜に境川の川原を自転車で走ると飛び交うホタルの群れで目を開けていられないほどだったそうです。その光景をずっと覚えていらした。子どもの時の感動は、大人になっても覚えているものなんですね。また子どもの時に自然体験をした子と未経験の子では、想像力に歴然とした差が出るんです。情操教育のためにも、子どもたちにはぜひホタルで感動体験をしてほしいのです」
『ホタル豆知識』
日本でよく見られるゲンジボタルやヘイケボタルは7月に卵で生まれ、秋に幼虫となり、春の八重桜が咲くころに上陸し、その後地中でさなぎになり、6月に成虫して乱舞する。幼虫時代を水中で過ごす水生ボタルと、樹林地で生活する陸生ボタルがいる。ゲンジボタルとヘイケボタルは水生ボタル。陸生ホタルの成虫はほとんど発光しないため認識しづらい。 |
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