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大塲家の表門。今年3月に「公益財団法人大山守大塲家保存協会」が認可された |
6月から一般公開本格化
霞ヶ浦の北東岸、行方市玉造にある大塲家は江戸時代に代々水戸藩の大山守を務めてきた旧家である。水戸へ通じる街道に面して一段高い所に構えられたこの屋敷は中央に表門、右手東方に通用門、前庭を挟んで主屋が建っており「御殿」と称されるにふさわしい風格を漂わせている。一歩敷地内に入ると、そこは武士の時代にタイムスリップしたかのような別世界があり、最近では映画「桜田門外ノ変」のロケにも使われた。2008年に大規模な保存修理工事を終えて、現在は日曜のみ一般公開されている大塲家住宅。6月からは週4日間公開される。
大塲家住宅は初代水戸藩主徳川頼房が領内巡視の折の宿泊所として建てられ、その後も二代光圀、三代綱條、七代治紀、最後の藩主となった十一代昭武らが宿泊した歴史ある屋敷だ。
九代斉昭が宿泊の折には「朝霧に造れる玉と見るまてに つらぬきとむる野辺の若草」という歌も詠んでいる。
主屋は木造寄棟茅葺で、大塲家の古文書によると1661年から76年の間に建築され、増改築を経て江戸末期に現在の形になったと考えられている。
大塲家住宅は、数寄屋風の造りの座敷部、15畳の広間を持つ取合部、土間を含む大棟を持つ居室部東と中庭を挟んで平行に並ぶ居室部西の4棟からなる。
中央の門部と東西の部屋部からなる長屋門形式の表門は木造寄棟かやぶきで、藩主来訪の時と元旦以外は開かれた事がない「開かずの門」である。通用門は木造切妻かやぶきの薬医門で江戸末期から明治初期の建築と考えられており、通常の出入りにはこちらが使われた。
美しい白壁黒板、堂々とした屋敷構えは非常に貴重なもの。主屋、表門、通用門は家相図など2枚とともに1989年「茨城県指定有形文化財」に指定されている。
17代当主大場正二さん(60)の話によると、40年近く前までは実際にこの建物に住んでおり、その後も長く手伝いの人が家を守って住んでいたという。しかし、近年住宅は老朽化が進み崩壊の恐れもあったため、長い準備期間を経て解体復元されたのだ。
大場正二さん |
6古文書など資料1万点
この解体にあたり外された27枚のふすまの下貼りから、1639年から1964年まで300年以上に渡る古文書が多数見つかっている。
貼り替えの時に上貼りを取らないまま何層にも重ねられてきた下貼りには帳面や証文、書状、封紙、刷り物から新聞紙に至るまであらゆる文書が使われていた。
これらが長い間火災にも遭わず人為的破損がないことは驚きであり、水戸藩を始め当時の生活全般を知る大事な資料の発見であった。大塲家は今年3月「公益財団法人大山守大塲家保存協会」として認可された事に伴い、6月から本格的に週4日程度建物の公開を予定している。
同時に隣接する資料館には代々伝わる古文書など1万点に及ぶ史料の中から、月替わりにそれらの資料も随時展示していく考えである。
大きな改修工事を無事に済ませた事や公益財団法人として大塲家を所有・保存できた事について大場さんは「これまで長い間先祖が守ってきた建物を次の世代につないでいきたいと考えていました。一時は解体も覚悟していただけに『成せばなる』という大好きな言葉の通りその思いが叶った今とてもうれしいです」と胸の内を明かす。
詳細は介護老人保健施設かすみがうら TEL.0299・55・0122 |
※大山守
庄屋のまとめ役。裁判所、警察のような役目。林の管理をするなど水戸藩独特の職制 |
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