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動けなかった体をプールで歩いたり泳いだりして、機能の回復を図っている石田さん(右) |
寝たきりの恐怖心克服
最近はどこの町でもよく見かけるようになった大型のスポーツ施設。病気や事故などで不自由になった体を、早く元に戻そうと必死の思いでリハビリのために通っている人も少なくない。鉾田市の石田れい子さん(75)もその中の1人だ。動けなかった体をプールで歩いたり泳いだりして、機能の回復を図っている。その努力は並大抵なものではなく、長い年月と根気が必要であるが、寝たきりになりたくないという強い精神力で克服してきたという。穏やかな表情と会話の中にも、その意気込みが十分感じられた。
1999年の10月、交通事故に遭い外傷性静脈瘤・頸椎損傷を負った石田さん。半年以上の入院の後、12年経った現在もまだ通院中というほどの大けがであった。退院した当時は体感機能が損傷しており、歩けない、話せない、手も動かない上に体中の痛みとも戦っていた。
だが、夫の良和さんにも障害があったため、石田さんは無理をしながらも、家事全般をこなさなければならず苦しかったという。
その上、首を金具で固定していたため、「痛いからといって、首や体を動かさないでいると一生苦しむ事になる」と医師にプールで歩く事を勧められリハビリを開始、2001年、スポーツプラザ山新鉾田に入会した。
その日からプール内のロープを伝って、来る日も来る日もただ歩く訓練。「歩くというのは大変な事なのよ。単純で根気がいるだけに辞めてしまう人も多いの」。数年後にやっと体が少し自由になり、ロープなしでもプールを歩けるようになった。
その後は努力のかいもあって、プールで泳ぐまねを始め、ストレッチ体操やヨガの教室で体をほぐすなど、少しずつリハビリも前進していった。その結果現在では、毎日プールでの1á`の歩行をノルマとし、休憩後にはクロールや平泳ぎで、長い時間泳げるような練習に取り組めるまでになってきた。
石田れい子さん |
都内に1人で観劇も
プール内でのリハビリの様子を写真で担当の医師に見せた所、「正直、こんなに体が動くようになるとは思わなかった」と言われたことからも、いかに努力したかが分かるというものだ。こうしてリハビリ中の石田さんだが昨年、思いきって1人で電車を乗り継ぎ、常陸大子駅まで小旅行をしてみた。
「道の駅があると言うので歩いてみたらずいぶん遠い所にありました。そこでアユの塩焼きを食べて帰ってきただけなのに、その時に歩くことができた達成感と、自信のついたうれしさは今でも忘れられません」と石田さん。その自信から、最近では東京に1人で観劇にも出掛けられるまでに。「私は友人も少なく、人づきあいもあまり好きでないので人に頼ることができません。ただ、足にプールだこが出来るほど真剣にリハビリをしようとする気持ちの強さだけは持っています」
月に2回ほど泳ぎの指導を受けている施設のインストラクターの下田怜志さん(28)も「石田さんを指導して5年になりますが、出来なかったことや難しい事には出来るまで取り組む、その一途さには頭が下がります」と話してくれた。
今でも痛み止めの座薬は離せないが、「包丁も持てないし、同じ姿勢では痛くて長くいられない、歩くのもゆっくり。だからリハビリが必要なのですが、自分のためだから苦にはなりません。これからもできるだけプールに通い、しっかりとした自分の体を取り戻すまで頑張るつもりです」と語る石田さん。その気力こそが病気を克服できるのだと、石田さんは身をもって教えてくれている。 |
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