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高い場所での作業もいとわない川和さん |
できることから一つずつ
3月11日に発生した東日本大震災で、県内でも多くの個所が被害に見舞われ、ここにきてあちこちで、家屋を取り壊す光景を目にするようになった。壊れた瓦を屋根から落とし、建物を重機で崩した後、がれきとなった建物の中から、外壁やガラスやブロックなどを手で細かく分類しながら片づけていく作業は、若い人でもなかなか体力を必要とする重労働だ。しかし水戸市東大野に住む川和進さん(83)はその作業を自ら先頭に立ち、黙々と丁寧にそれでいて手際よく、行っていた。年齢を感じさせないその元気な働きぶりはどこから来るのか。
20歳で結婚した川和さん、その時親から分けてもらった3反歩の田んぼだけでは生活できないため、建設業の会社を設立した。
大手会社の下請けとして道路や線路などの土木工事の仕事を地道に続けてきた結果、現在では大きな重機を何台もそろえ、産業廃棄物技術管理者の資格も持つ長男の貢さん(58)が2代目を継ぎ、家の解体など幅広く手掛ける会社に成長した。
東日本大震災から2カ月が過ぎたことから、住宅の解体の仕事が増えた。解体作業は、危険が伴う。また、手順よく進めないとどんどん作業が滞ってしまう。壊れた瓦を屋根から落とし、建物を重機で崩した後、外壁やガラスやブロック、鉄などを手作業で細かく分類しながら片付けなくてはいけない。チームワークも大切だ。
川和進さん |
「最初に重機で家を壊して、後から瓦やブロックや鉄をより分けるやり方もあるけれど、余計日にちが掛かってしまう」と川和さん。慣れているとはいえ、川和さんのように、80歳を過ぎても2階の屋根に上る人はかなり珍しい。社長の席を譲ってから30年近くになるが、生涯現役主義で、今でも毎日出勤する。貢さんに作業中の指示や助言を与えることもしばしば。
「一般的に社長や会長になるとどうしても自分の意見を通そうとするが、それでは会社はうまくいかない。社員が気になっていても、社長に直接は言いづらいと思うので、代わりに親の私が言うことにしている」と、力強い一面も。
しかし、貢さんが常にそんな父親の意見を素直に聞く姿勢を持ってきたことから、会社がここまで順調に発展してきたのだった。
会社が休みの日曜や祭日は妻の、ちよさん(84)と畑仕事をする。「年中無休で働いているんだよ」と笑う。仕事が終わった後の2合の酒と自家製のニンニク酒を薄めて飲むのが、ささやかな楽しみだ。「戦争で何もない時代に育ったので、食事は日に3度の白米とみそ汁で十分」だと言う。
少しぐらい体調が悪くても現場で仕事を始めると忘れてしまうくらい、これまでほとんど病気もした事がないという。元気な体は、94歳で亡くなった父親譲りで、健康な体を親からもらったことに日々感謝しながら生活している。「父親は100歳まで生きると思う」と貢さんも体の丈夫な父親が自慢のようだ。
少しでも早い復興を—。その気持は誰もが同じだ。震災から4カ月が過ぎ、以前は傾いたり、ガラスの割れた家が残っていた街も、整いつつある。道のりはまだ遠いが、できることから一つずつ、と、川和さんは今日も現場に出掛ける。
問い合わせは(有)川和建設 TEL.029・231・3933
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