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ユネスコ無形文化遺産「日立風流物」 日立郷土芸能保存会 |
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左から滑川外記さん、水庭久勝さん、古河利孝さん、滑川昭義さん |
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来月3日、4日に公開
「日立風流物」が2009年の9月に「ユネスコ無形文化遺産」になった。「宮田町の宝が、世界の宝になりました」と「日立郷土芸能保存会」北町支部長・水庭久勝さん(71)。同会東町支部長・滑川外記さん(74)は「風流物の伝統を守り今後も伝えていきたい」と喜ぶ。「日立さくらまつり」開催中の4月3日(土)、4日(日)には美しく咲き誇る桜の下、華麗な山車「日立風流物」が公開され、人々を魅了する。
「日立風流物」は操り人形を乗せた、からくり仕掛けの山車。華やかに飾られた巨大な引き山だ。正面の表山は5層(段)からなり、岩山を模した裏山(うしろやま)でも人形芝居が行われる。山車の大きさは、高さ15メートル、表山を閉じたときの幅約5メートル、奥行約10メートル、重さ約5トン。山車は200人ほどで引く。「お客さんの拍手が最高のプレゼントです」と水庭さんはにこやかに話す。
「今後も伝統守って」
「日立風流物」は、元禄8年(1695年)徳川光圀の命により、神峰神社が宮田・助川・会瀬の鎮守になったとき、氏子たちが造った山車を祭礼に繰り出したのが始まりで、この山車に人形芝居を組み合わせるようになったのは享保年間(1716〜1735)だといわれている。「からくり人形」は、村人たちが、当時流行していた人形浄瑠璃を参考に人形作りの工夫を重ねながら技術を習得していった。
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操り人形を乗せたからくり仕掛けの山車「日立風流物」 |
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「日立風流物」は以前「宮田風流物」と呼ばれ、神峰神社の大祭の時だけ宮田地区の四町(東町・北町・本町・西町)から奉納されてきた。4町4台の風流物は、町内が競い合い、明治中期から大正初期にかけて改造を重ね大型化された。しかし、風流物は1945(昭和20)年の戦災により大半を焼失した。54年に「日立郷土芸能保存会」が発足し山車の保存と復元に努め、「日立風流物」と呼ばれるようになった。58年に北町の山車が復元され、59年に国の重要有形民俗文化財となった。その後残りの3台も復元され、77年に4台とも国の重要無形民俗文化財に指定された。そして昨年の9月には「ユネスコ無形文化遺産」に登録。現在では「日立さくらまつり」や、7年に1度の神峰神社大祭礼で公開されている。
山車は3、4、5層が上下し、「開き」という仕掛けで各層の屋形が中央から開き、人形芝居の舞台となる。土台は上下2重構造になっていて、上土台が180度回転し表山と裏山が入れ替わる。
山車には人形を操る人が約35人、笛、太鼓などのはやしが約10人乗り込む。2〜3人の人形の作者が1体の人形を操る。人形は早返り人形と普通のものと2種類あり、早返り人形は一瞬のうちに装いが変化する。最近は「子ども鳴り物」が設立され、囃子方に女性や子どもたちも加わるようになった。
芸題(演目)は毎回変えている。「人形を動かすタイミングとせり上がりのタイミングが難しいですよ。ピタッといったときは大変うれしいです」と滑川さんは微笑む。
山車は公開ごとに組み立て、解体、保管を繰り返す。「限られた時間に組み立て、解体、保管をしないといけません。解体中に雷が鳴って困ったこともありました」と本町支部長・滑川昭義さん(70)。
「高齢化により風流物に携る人が少なくなっています。これからは、是非若い人たちに入ってきてほしいです」と西町支部長・古河利孝さん(70)は呼び掛けている。
問い合わせは郷土博物館まで TEL0294・23・3231 |
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