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「剣豪・宮本武蔵の実像」に迫る 映画監督・三上康雄さん |
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三上さんが尊敬する映画監督は「2001年宇宙の旅」のスタンリー・キューブリック。「日本語の字幕や新聞広告までチェックした」という同監督にならい、三上さんも製作から脚本、監督、編集、キャスティング、宣伝まで、映画作りのほとんど全てに関わる |
迫真の殺陣も追究
中学から大学にかけて剣道に熱中していた映画監督の三上康雄さん(61)にとって、剣豪・新免(宮本)武蔵はヒーローであり、憧れの人だった。しかし、時がたつにつれ「本当の武蔵とはどんな人だったのか」と思うようになる。そんな三上さんが、江戸時代初期を生きた剣豪の実像に迫るべく製作したのが映画「武蔵—むさし—」だ。CG(コンピューター・グラフィックス)は用いず、真剣同様の模擬刀による殺陣でオールロケを敢行するなど、ストーリーから映像の細部にいたるまで妥協を許さず “真実性”にこだわった。同作は25日(土)から劇場公開。
三上さんの商業映画デビュー作となった前作「蠢動—しゅんどう—」は国内だけでなく海外12カ国でも公開。武士道をテーマにした緊迫感あふれる時代劇映画として評判を呼んだ。2作目となる「武蔵—むさし—」は、豊臣政権が終わり、徳川幕府に移行していく歴史の大きなうねりの中で生きる武蔵や佐々木小次郎、吉岡清十郎(吉岡道場当主)などを多層的に描く群像劇。過去幾度となく小説や映画などで取り上げられているが、三上さんは小次郎との決闘の現場である巌流島(船島、山口県下関市)に足を運ぶなど史実を丹念に調べ“人間・武蔵”の実像に迫った。
三上さんが“武蔵の実像”に関心を持つようになったのは武蔵が描いた書画を見て、「すごく繊細な絵を描いている」と感じたのがきっかけだった。
「実在した武蔵はこれまで小説や映画で主に描かれたような類いまれな身体能力を持つ強さだけの男ではなく、人を斬りたくないという心を持つ内柔外剛の人ではなかったか」と、人間・武蔵を映画で製作しようと思い立った。
50代で転身
三上さんは映画監督として異色の経歴を持つ。前職は大阪で3代、100年続くアルミ製門扉やフェンスを作るエクステリアメーカー、ミカミ工業(株)の社長だが、同社を53歳で辞め、映画監督に転身した。若いころから8ミリや16ミリカメラで盛んに自主映画を製作し、近畿大学商経学部在学中には地元・関西で“自主映画の雄”と目されていた。しかし、大学を卒業すると「天命」と思い、家業のミカミ工業に入社。自主映画製作は“封印”した。同社で企画マネジャーや製造部長を経て43歳で3代目社長に就任。10年間社長を務めたが、エクステリア事業の将来に見切りをつけ、2011年ミカミ工業の全株式を売却。54歳で“ひとり映画会社”の(株)三上康雄事務所を設立し、13年に処女作「蠢動—しゅんどう—」を製作した。
三上さんの映画作りの特徴は徹底した真実性。今作でも、CGやセットでの撮影は行わず、小田原城や水戸・弘道館などの文化財や野外でオールロケを敢行。剣を闘わせる殺陣は三上さんの武術の師、中村佳夫と一緒に「ここで武蔵はどう動いたか」「すると相手は」と闘いを想像しながら考案。その体の動きを撮影した動画を俳優に渡し、撮影現場に入る前に見てもらったという。また、小道具類では武蔵、小次郎らの刀を史実に基づき再現したほか、反物も吉岡清十郎が考案したと伝わる吉岡染を復元した。三上さんが映画作りでセットを使わず小道具の細部にまでこだわるのは、観客が「本物ではない」と思った途端に白け、「つまらない映画と思われてしまうから」と言う。
「これまで小説や映像で描かれてきた“武蔵像”への疑問は、今回映画を作る過程で解消し、疑問はストンと腹に落ちました」と笑う三上さん。徹底した真実性を追究する“三上時代劇”の今後が楽しみだ。 |
©2019 三上康雄事務所 |
「武蔵 —むさし—」 日本映画
脚本・監督・編集:三上康雄、出演:細田善彦、松平健、目黒祐樹、水野真紀、若林豪、清水綋治、遠藤久美子ほか。120分。
25日(土)からイオンシネマ浦和美園(Tel.048・812・2055)ほかで全国上映。 |
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