八千草さんは自宅の庭に、生物の小規模な生息空間「ビオトープ」を造っている。「かなりの年齢になってから計画したので、始めるかどうか迷いました。『長い年月がかかるし、今から造っても無駄かな』と…」。だが、メダカやカエル、集まってくる虫を見て「(ビオトープ造りの)過程で得られる喜びをかみ締めています」とほほ笑む。「先を恐れ『無駄』や『無理』と決めつけるのは良くないと…、今はそう感じています」 |
12年ぶりに舞台「黄昏」出演
ちょっとだけ無理をする—。87歳の今、ますます存在感を増す女優・八千草薫さんは、そんな考えを大切にする。「何もしないと後退しちゃう。(忙し過ぎて)気持ちが急いでしまうのも避けたいけれど…(笑)」。老夫婦とその家族らのひと夏を描いた舞台「黄昏(たそがれ)」の再々演に意欲を見せる。12年ぶりの出演で、キャストの中では唯一の“続投”。何気ない会話に優しさがにじんでいる」と、作品の魅力をよどみなく語る。「見てくださる人の心に『温かさ』を残す舞台です」
「実際は、かなり無理をしちゃっているかしら」。八千草さんはそう言いながらも、柔和な笑みを絶やさない。映画、テレビドラマ、舞台…。現在も活躍の場は各分野に及び、しかも主要な役を委ねられる。昨年はシニア向けの「帯ドラマ劇場」第1弾「やすらぎの郷」(テレビ朝日)に出演。その“続編”として来春から1年間放映される「やすらぎの刻(とき)〜道」では、主人公の後半生を演じることが決まっている。高級老人ホーム「やすらぎの郷」入居者の“姫”役を思い起こさせるたおやかな口調で言葉を継ぐ。「次は主役だなんて…。『ちょっと無理』ではすまなくなっちゃう。どうなるのかしら…、ねえ(笑)」
「年齢を理由にしない」
大阪府出身の八千草さんは、空襲で自宅を焼かれた記憶を持つ。「戦争中と終戦直後は、世の中全体が灰色という感じ。明るくてきれいな世界に憧れました」。宝塚音楽学校を経て宝塚歌劇団に入り、1947(昭和22)年に初舞台。「源氏物語」の若紫役などで、美貌の娘役として注目された。「舞台は私の原点。今も(活動から)外したくないですね」
51年には「宝塚夫人」で映画デビュー。ここでも清純な美しさが評判となり、日本とイタリアの合作映画「蝶々夫人」(55年)など、大作・話題作に次々起用された。テレビドラマにも、草創期の50年代後半から出演。次第に「良妻賢母」のイメージを固めながらも、77年放映の「岸辺のアルバム」(TBS)では、不倫の人妻役を好演している。自身を「不器用」と評する八千草さんは、役作りに時間をかける。「役の人間の気持ちに深く思いを巡らせ、そこに少しでも近付こうと努力します」
若い人と共に
80歳を過ぎてからの活躍も目覚ましい。映画では、98歳で初の詩集を出した柴田トヨの人生を描いた「くじけないで」(13年)に主演。老齢の女性が秘めていた恋心から行動を起こす「ゆずり葉の頃」(15年)でも主役を務めた。「若い人と年を重ねた人が共に演じ、幅広い世代の人が楽しめる…、そんな作品がもっとあってもいいと思うんです」。それだけに、老いと家族の絆を主題に“三世代”がそろう舞台「黄昏」への思いは強い。 物語の舞台は、米国北東部にある「ゴールデン・ポンド」の湖畔。別荘でひと夏を過ごす老夫婦の元に、娘とその恋人らがやって来る。八千草さんが演じるエセルは妻として、そして母として、長く反目してきた父娘を温かく見守り、時にエネルギッシュに行動する。2003年の初演、06年の再演に続き、再々演に臨む八千草さんは「年を重ねた人の心理がよく描かれている。何度(台本を)読んでも感心させられます」と言葉に力を込める。
八千草さん自身は、映画監督の夫・谷口千吉とたびたび山歩きに出掛け、07年に死別するまで“おしどり夫婦”と呼ばれていた。「自然は人を素直にしてくれる。『黄昏』にも、それが織り込まれています」。キャサリン・ヘプバーンとヘンリー・フォンダが共演した“映画版”(81年)は有名だが、「映画をなぞるのではなく(ステージから)じかに、人の優しさと自然の素晴らしさが伝わってくる…、そんな舞台ならではの世界を創りたいです」と歯切れ良い。
八千草さん以外のキャストは、全員初出演とあって、「相手によって舞台は変わる。私も『初めて』のつもりで挑みます」と意欲を見せる。体力を要するシーンもあるが、毎朝のウオーキングを欠かさない八千草さんの背筋は真っすぐだ。「年齢を理由にチャレンジをやめたら、人生の可能性は狭まってしまう」。芸歴70年を超え、旭日小綬章や日本アカデミー賞会長功労賞など、数々の栄誉を受けている今も、控えめな印象は変わらない。「これからも、ちょっとだけ無理をして、でも無理のし過ぎには気を付けて…、一日一日を丁寧に生きていきます」 |