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難病の衝撃乗り越え作詞作曲…「明日に向かって」 さいたま市の音楽教育者・鈴木宏子さん |
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これまで「明日に向かって」を含め20曲を作曲している鈴木さん。新潟県中越地震で大きな被害を受けた山古志村(現・長岡市)や、失意のときにそっと10万円を渡して湯治を勧めてくれた母への思いなど身近な人や思い出の場所をテーマに創作している |
川口市の音楽イベントに出演
小学校教師のときに左目の難病にかかり、2年間休職した自らの体験をつづった歌「明日に向かって」。この歌を作詞・作曲(補作:高橋浩美)したのは、さいたま市浦和区に住む鈴木宏子さん(73、ペンネームは高田蓮子)。その後、教科書に採用され、今も全国の子どもたちに歌われているが、もともとは闘病後に教師として復職する前日、教え子との再会を念頭に作った曲だった。37年間勤め上げた教職を定年退職した後は、幼い子どもたちに音楽の楽しさを教えている鈴木さん。11月5日(日)、川口総合文化センター・リリアで開催される「第10回かわぐち音楽の日2017 音楽のびっくり箱」に出演する。
1944(昭和19)年、新潟県高田市(現・上越市)で生まれた鈴木さん。生家は小さな寺だった。新潟大学を卒業して山古志中学校に赴任した後、埼玉県内に移り、小中学校で音楽を中心に教壇に立った。多くの子どもたちに音楽の楽しさを教えた37年間の教師生活の中で、最もつらい時期だったのが50代前半で2年間休職したとき。
鈴木さんは家族の問題などによる過労やストレスが原因で難病の「加齢黄斑変性」にかかる。手術の結果、視野の周辺部分は見えるようなったものの、中央部分は見えない状態のまま—。深い挫折感にさいなまれ、なかなか立ち直ることができなかった。
そんな秋の日の早朝、自宅近くの見沼田んぼを歩いていたときだった。「両目が見えていたころよりも空の青さが感じられ、紅葉した秋の景色が飛び込んでくるようでした。生きる希望が再び湧いてきて『左目が不自由でも、頑張って生きよう』と思いました」と振り返る。
この体験がきっかけとなって苦しみのトンネルを抜け、鈴木さんは立ち直ることができたという。
しかし復職する前日、長く会っていなかった教え子の子どもたちと「どう再会したらいいのか」と悩んだ。小学4年生だった子どもたちも6年生になっていた。そこで思い付いたのが、歌を作って子どもたちに聞いてもらうことだった。自分の体験を基に作詞、それにピアノで曲を付けるのに1時間とかからなかった。
復職した日、再会した子どもたちの前で「明日に向かって」を披露した鈴木さん。授業が終わってから子どもたちが「先生、つらかったのね」と集まってきて、「卒業の日までたくさんの思い出を作りましょう」と泣きながら抱き合ったという。
ボランティアにも尽力
やがて「明日に向かって」は教科書会社の目に留まり、小学5年生の音楽の教科書(教育芸術社)に採用されることになった。このとき付けたのが「高田蓮子(たかだ・れんこ)」というペンネーム。鈴木さんが生まれ育った旧高田市は春の夜桜で有名だが、夏になると城の堀一面に蓮(はす)の花が咲く。昔の市の名前と蓮を組み合わせてペンネームにしたのだが、実はもう一つ別の意味が込められている。「蓮は水面下でザリガニなどに茎をかじられても、それに負けずに『明日に向かって』咲きます。そういう(前向きな)気持ちを込めました」と鈴木さんは話す。シンプルで歌いやすい「明日に向かって」は、今も幅広い年代の子どもたちに歌われている。
13年前に教師を定年退職した鈴木さんは、県内の幼稚園児や障害児に音楽の指導をする傍ら、ボランティア活動に力を注いできた。仲間と共に“音楽紙芝居”などを演じる「どんぐり座」や演奏集団「ベル・ツリー」を立ち上げ、老人福祉施設などを回っている。川口総合文化センター・リリア全館で催される「かわぐち音楽の日2017」では、1階催し広場で開催されるイベント「音楽のびっくり箱」の中で、「音楽紙芝居『幸せとどけるぴょんこ便』」(午前11時40分〜正午、午後2時10分〜2時半の2回)と「歌って踊ろう ! 『世界中のこどもたちが』」(午前11時10分〜11時半)に出演する。鈴木さんは「生涯現役をモットーに、これからも元気で歌と笑いを届けていきたい」と話す。 |
鈴木宏子・画 |
かわぐち音楽の日 音楽のビックリ箱
11月5日(日)午前10時〜午後3時、川口総合文化センター・リリア(JR川口駅徒歩1分)1階催し広場で。
小さな子どもたちと共に、シニアも童心に帰って楽しく音楽で遊ぶイベント。出演は舘松吟雲、ぴょんこ座、長嶋真美、鈴木宏子、斉籐貴聖、川口マンドリン・アンサンブルほか。観覧無料。
問い合わせは川口総合文化センター・リリア Tel.048・258・2000 |
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