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漫画家の先駆け・北沢楽天、映画化へ 北沢楽天顕彰会会長・牧野圭一さん |
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「福沢諭吉が漫画には世の中を動かす力があると考え、楽天の才能が開花しました」と話す牧野さん(漫画会館で) |
来年公開に向け、製作中
大宮市(現・さいたま市大宮区など)の名誉市民第1号で、職業漫画家の先駆けとなった北沢楽天の生涯が映画化される。映画「漫画誕生」は年内完成、2018年公開の見通しだ。しかし、楽天といっても知る人ぞ知る存在。没後60余年を過ぎて映画になる楽天とはどんな人物だったのか。映画化を進める北沢楽天顕彰会会長で漫画家の牧野圭一さん(79)に話を聞いた。
「楽天は単に大宮とゆかりのある有名な漫画家というレベルではなく、日本が誇るクールジャパンの一つ、漫画の元祖としてさかのぼることのできる人なんです」と話すのは楽天顕彰会会長の牧野さん。同会は楽天の功績を顕彰する組織として1964(昭和39)年に発足、合併してさいたま市となる前まで大宮市長が歴代会長を務めてきた。
弟子の長崎抜天が描いた北沢楽天の顔(漫画会館) |
楽天は1876(明治9)年に東京・神田で生まれた。19歳で外国人向けの英字新聞社に入社、オーストラリア人・ナンキベルという人から西洋漫画を学ぶ。23歳の時に福沢諭吉の「時事新報」に入り、時事漫画を描くようになる。福沢は「西洋には政治や社会を批判し風刺する絵がある。日本でもそうした分野を開拓すべきである」と考えていた。コメ一升11銭の時代、若い楽天に月給50円を出したといわれる。間もなく楽天が描く風刺絵は大人気となる。それまでは「ポンチ絵」や「おどけ絵」と言われ低俗に見られていたが、楽天が「漫画」という名称を使うようになり、社会での評価も高まったという。29歳で日本初のカラー漫画雑誌「東京パック」を創刊。日本の職業漫画家の先駆けとして活躍する。
太平洋戦争で東京から東北(宮城県)に疎開していた楽天は戦後間もなく72歳で大宮に居を構え、漫画だけでなく日本画も描くようになるが79歳で亡くなった。死後、楽天の住居や作品は、いの夫人から大宮市に寄贈され、それらが現在さいたま市立漫画会館として受け継がれている。
明治、大正、昭和を生きる
牧野さんは「若手研究者が“手塚治虫以前”の漫画の歴史をたどっていくと楽天に行き着きます。その影響を受けて育った手塚治虫が日本の“ストーリー漫画”の原点となり、今日のような漫画の隆盛につながったのです」と話す。
右からあらいさん、大木さん、牧野さん、加瀬さん |
そんな楽天の物語を映画化しようという計画が進んでいる。「ずっと映画化したい、と思い続けていました」と話すのは漫画家・イラストレーター・似顔絵師で、さいたま観光大使を務めているあらい太朗さん(51)。「楽天は漫画という名称が確立されていなかったころから漫画で生活していた人。今日、漫画を全国に広めるのに最も寄与した人」と評価する。
ところが、「その楽天が忘れ去られ、地元でもあまりにも知られていないことに強い憤りを持っていた」というあらいさん。その話をたまたま映画監督の大木萠さん(30)にしたところ、大木さんは「調べれば調べるほど楽天の映画を作りたいと思うようになりました」と映画作りにまい進することに—。映画「漫画誕生」は今年5月ごろまでに撮影を終えて年内完成、来年劇場公開される見通しだ。
同映画のプロデューサー、加瀬修一さん(43)は「楽天という人物の面白さを見てもらいたい。明治、大正、昭和を生き抜いた一人の漫画家の人生から何かを感じ取ってもらえれば」と話す。
昨年は楽天生誕140年、漫画会館の開館50周年の節目だった。そして今年、楽天の生涯を描いた映画の製作が進み、来年公開されようとしている。「生前の楽天を知る人は少なくなりましたが没後60余年たって、楽天から自由な空気や考え方を受け継いだような、あらいさんのような人が出てきた」と牧野さんは目を細める。 |
大宮盆栽村の一角に居を構えた楽天(右) |
開館50周年記念企画展「写真が語る漫画会館の50年」
12日(日)まで、さいたま市立漫画会館(東武アーバンパークライン大宮公園駅徒歩5分)で。
1948年、大宮盆栽村の一角に居を構えた楽天。晩年を過ごしたこの地に66年11月1日、日本初の公立漫画美術館「漫画会館」が誕生した。漫画会館の今に至るまでの半世紀を写真40点と楽天愛用の画材などで紹介している。入場無料。月曜休館(祝日を除く)。
問い合わせは Tel.048・663・1541 |
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